「羽生世代」と呼ばれる棋士の中で最も早い、11歳で奨励会に入会した先崎学九段はエッセイの書き手としても知られ、自身のうつ病の発症から回復までの日々を綴った『うつ病九段』(文藝春秋、2018年7月)はベストセラーとなった。

 ここでは、先崎九段が「将棋メシ」にまつわる棋士たちの素顔を描いた『将棋指しの腹のうち』(文藝春秋)より一部を抜粋。藤井聡太竜王の活躍に乗り、将棋界の聖地となった『みろく庵』の真実とは——。(全2回の1回目/続きを読む

史上最年少でプロデビューしている藤井聡太竜王 ©文藝春秋

※本文中に登場する棋士の肩書や段位は、執筆当時のままです。

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聖地になった『みろく庵』

 はじめはやはりこの店から入るべきだろう。千駄ケ谷駅からほど近い『みろく庵』である。

 なんの変哲もない古きよき風情を残すフツーの居酒屋兼そば屋だったのだが、ある日突然に、将棋メシの聖地になり、2019年の3月に惜しまれながら閉店した。おそらく瞬間的には神田のやぶそばより有名だったはずだ。

 すべては藤井聡太くんが大活躍したことによって起こったブームのおかげである。なんかすごかったらしいですねえ。

 ですねえ、と書くのは、私は藤井ブームの起こりはじめというのをよく知らんからである。なぜなら「うつ病」で倒れていたからだ。うつ病は人間としてのエネルギーが著しく低下して心身ともに活動が極度に鈍くなるという病気で、当然物事に対する興味も極度に低下する。私もご多分にもれず世間への興味はおろか、将棋界への興味もまったくなくなってしまい、ブームが始まった6月くらいから3カ月間は、ネットのニュースすら見なかったので、何が起きたのかてんで分からなかった。

 8月末くらいになって少し状態がよくなってきたので、親しい後輩である中村太地くんとメシを食べた。私は開口一番訊いた。

「将棋界のニュースを教えてくれ」

 彼は即答した。

「僕が王座戦の挑戦者になりました」

 太地くんは言わずと知れた大棋士・羽生善治王座への挑戦を決めた直後で、その五番勝負に勝ち王座のタイトルを獲ったものの、翌年には、斎藤慎太郎くんというさらなる若手にタイトルを獲られるのだが、それはさておき自分の活躍を堂々と言う彼の姿を見て、私は自信家が集まる将棋界の香りを思い出したのだった。

「それは知っとるわい。で、他にはなんじゃ」

「みろく庵がですね、聖地になってます」

「はあ? なんじゃそりゃ。こっちは病気で真面目に訊いてるんだ。からかうな」

「いいえ。僕が先生をからかうわけがないじゃないですか。本当に聖地になってるんです。すごいことになってるんです」

 酒を飲んだときはよくからかわれているような気がするのだが、というのをぐっと飲み込んで私は、うつ病で働きが鈍くなっている頭で必死に考えた。

 せいち、せいち、せいち――そこでハッと気がついた。整地だ。あの一帯が更地になってでーんと商業ビルが建つに違いない。名門津田塾大学のすぐそばである。中野における明治大学のキャンパスのように、高層ビルのような学校ができるのだろうか、はたまたオフィスビルか――。千駄ヶ谷も変わってゆくんだなあ。

 感慨にふけっていると、太地くんは得意気に続けた。

「藤井くんが豚キムチうどんを頼んだらですね、お店にお客が殺到してみんな豚キムチうどんを食べて、すぐに売り切れになったんですよ」

「??? なんすか、それ、本当かよ?」

「本当です。出前の電話がかかってくるところや、出前持ちが店を出るところがワイドショーで流れまくっているんです」

 私は頭がくらくらした。あのみろく庵がワイドショーだあ?