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『みろく庵』が棋士にとって最高なワケ

 私がはじめてみろく庵に行ったのは田中寅彦九段に連れられてのことだった。田中さんは家が近く行きつけだったのだ。25年くらい前だったと思う。当時は対局中に出前を頼める店は3軒くらいしかなく、みろく庵はその中に入っておらず、存在すらも知らなかった。

 それから月に1回くらいのペースで利用してきたが、すべて夜だった。みろく庵はつまみの種類が豊富で、また一風変わった冒険的なメニューが多く、軽く一杯やるのに実に都合がよい店であった。働き者の女将さんが店内を仕切っていて「すみませーん」と言うとすぐに来てくれる。つまみが出てくるのも早く、貴重な街のよき居酒屋だった。

 また棋士にとっては千駄ケ谷の駅のそばというのが「味がいい」のだ。将棋会館を出てちょっと一杯というとき、駅から逆方向の店はどうしても敬遠されることになる。また、山手線を使って帰る棋士は隣の代々木駅まで歩くことが多いが、その点みろく庵は代々木駅にも近く便利なのだ。車で新宿へ行って2軒目に行こう、という場合にも店の前からタクシーに乗ることができる。要は皆にとって最高のポジションにあるのである。

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先崎学九段 ©文藝春秋

 みろく庵での酒には痛い思い出がある。鈴木大介くんと他数人で飲んでいたとき、私がうっかり鈴木くんの師匠である故大内延介先生のことを軽んじるような発言をしてしまったのだ。もちろん悪気があったわけではなく、話の内容もそれほどのものでもなかったように思うが、とにかく鈴木くんは烈火のごとく怒った。私が謝っても一度気まずくなった酒席はなかなか元には戻らないものだ。我々以外の者は後輩で、黙りこくるよりない。気まずい空気のままその席はお開きとなった。

 この世界、仲間の棋士の師匠のことを悪く言ってはいけないというのは絶対の不文律である。たとえその師弟の仲が悪くても、決して悪く言ってはいけない。ちなみに兄弟弟子は別である。そのふたりの仲が悪ければセーフ、よければアウト。まあフツーの人間関係と変わらない。あくまでも師匠の悪口だけがタブー中のタブーなのである。

鈴木大介九段 ©文藝春秋

 だから、奨励会員や、若い女流棋士など、はじめて会う人間にまず訊くのは、名前の次に師匠は誰かということである。もちろんうっかり悪口を言わないようにするためである。

 親しき仲にも礼儀あり、という諺を思い知らされ、私はしょげにしょげたのだったが、次に鈴木くんと会ったときには以前と変わらぬ感じだった。

 まあこのあたりが、将棋界伝統の仲間意識というやつである。

(中略)

 みろく庵のそばは出前に強いそばである。コシがしっかりして角がたっているので伸びにくいのだ。棋士も皆それは分かっており、出前の一番人気だった。棋士は対局の最中に食欲がなくなる者と精をつけるためにいっぱい食べる者との二種類に分かれるのだが、私は典型的な前者である。だからざるそばやつけとろろそばをよく食べた。夏はたいがい冷やし中華であった。

「勝負メシ」「将棋メシ」という言葉は完全に市民権を得るようになった。ワイドショーなどで流れるのはいいとして、一度藤井聡太くんが新人王を獲ったときだったと思うが、NHKの7時のニュースで今日の藤井七段の勝負メシは――と言って写真が出てきたのには呆れかえった。まったく平和な国ですねえ、としか言いようがないですね。

 ここで本当の現場の勝負メシというのがどんなものか、正確に書いてみたい。