「羽生世代」と呼ばれる棋士の中で最も早い、11歳で奨励会に入会した先崎学九段はエッセイの書き手としても知られ、自身のうつ病の発症から回復までの日々を綴った『うつ病九段』(文藝春秋、2018年7月)はベストセラーとなった。
ここでは、先崎九段が「将棋メシ」にまつわる棋士たちの素顔を描いた『将棋指しの腹のうち』(文藝春秋)より一部を抜粋。千駄ケ谷駅から将棋会館へ歩く途中にあるステーキ屋「チャコあめみや」について、羽生善治九段と交わした会話とは——。(全2回の2回目/続きを読む)
※本文中に登場する棋士の肩書や段位は、執筆当時のままです。
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4時間の生放送前に「チャコ」へ
チャコは大きな仕事の夕食などでもよく使われた。当時、千駄ヶ谷には10人以上の人間が入れる店というのがあまりなかった。それにでかいプロジェクトならば予算もあるからステーキくらい食べられるということもある。
一度、NHKの仕事で20人くらいで夕食を食べたことがある。その日は、A級順位戦ラストの日で、俗に「将棋界の一番長い日」と言われる。これは名コピーで、将棋の世界でもっとも重要な一日はこの日なのだ。
棋士の出演者は、羽生、先崎、矢内理絵子だった。何年前だったかは忘れた。羽生が名人で森内俊之が挑戦した年である。この3人で朝2時間、夕方2時間、10時から深夜2時までの合計8時間という、狂ったような生放送を捌いたのである。とにもかくにも無茶苦茶にキツイ仕事だった。
6時までの夕方の放送が終わり、我々3人は死んでいた。矢内は聞き手だが司会のようなこともするので、常に頭を切り替えていかなければならない。羽生と私は、指し手の解説をするのが主たる仕事だが、なにせ10人のリーグ戦だから5局同時進行なのである。狭いスタジオに5局の大盤、5つの盤を映す天井カメラ、横から棋士を映すカメラがひしめいているのだ。そんななかで我々がリードして、はい次はこの将棋、とやっていくわけである。
キツイのにはもうひとつわけがあって、ゲスト出演する棋士がいないのである。なにせ、メインの解説者は名人羽生である。そしてその他のA級棋士は対局である。その下の棋士は恐れ多いといった感じになってしまうのだ。今のように、若手がぽんぽんテレビに出られる時代ではなかったのである。
夕暮れ時、早朝からたっぷり仕事をした我々はまだ10時から4時間の生放送というものを残している。
放送業界の人間がこれを知ったら倒れるであろう。
というわけで夕食はチャコに行ったのである。そば屋でと言われたら我々はストライキを起こしていただろう。
会話は「男性の好み」の話に…
チャコにて、3人は会話もなく、どこか遠いところを見つめていた。夜は、これまで以上に厳しい修羅場が予想されるわけで、羽生も私もうなだれていた。
しばらくすると隣の席のスタッフが気を遣ったのか、こちらのテーブルに話しかけてきた。しかし、羽生と私はボケーっとしているので、どうでもいいような答えしか返せない。
そこで矢内に話が振られた。「どんな男性が好みですか?」今ならセクハラかもしれないが当時はそんな概念はゆるゆるだったのだ。それにしても仕事の合間に訊くことじゃないと思うが。
矢内はしばらく口ごもった後、答えた。