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「将棋が強い人です」

 その場において天使のようなひと言である。羽生の顔がみるみるほころぶのが分かった。きっと私だってそうだったろう。

 まるで打ち合わせていた寸劇のようなひとコマ。ここでやめておけばよかったのだが……。スタッフがあろうことか続いて突っ込みを入れた。

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「じゃあ、羽生先生、先崎先生、〇〇、〇〇、〇〇(忘れた)の中で一番タイプなのは誰ですか?」

 アホである。今思い返しても史上最大級のアホなスタッフだ。その名簿の中には、出演者がふたり入っているのである。

 羽生と私は目を見合わせた。思ったことは同じだったろうから、我々には余裕があった。ま、「羽生先生と先崎先生です」だよね。

 噓も方便でいい、ガキのころから知ってるんだ、今さらタイプなんてどうでもいいけど、あと4時間の生放送を気持ちよくするために……。

 矢内は、うーんと首を傾げていった。

「まず羽生先生と先崎先生は除外ですね」

 男ふたりの目が点になった。ぼ、僕ら駄目なの? 考えるまでもなく直球を返す。

「なんで我々がまず除外なんじゃ」

「だってふたりとも結婚してますもん」

「でも単にタイプってだけじゃん」と私。

「そうですよ。矢内さん真面目すぎです」と羽生まで言い出した。

「えっ、でもやっぱり結婚されている人はちょっと」とまったく空気を読まない矢内。

 そこへステーキが運ばれてきてその場はお開きとなった。羽生と私は400グラムくらいのステーキを食べた。ふたりとも、これから戦場へ行くことを知っていた。

※画像はイメージ ©AFLO

ありえない…カメラのスイッチングを任される

 あまりにも予想通り、修羅場が待っていた。9時30分、生放送30分前。矢内は壁に向かって必死に台本を読み込んでいる。私と羽生は、7時からの夕休(夕食休憩)明けの手順を必死に覚えていた。将棋的手順とテレビ的手順の両方を覚えなければならない。カンペを書くスタッフも足りないのだ。覚えた手順が実際の手順と合っているか、何度も何度も確かめる。「大丈夫だな」「うん、合ってる」何度もこれをふたりで繰り返す。

 10時が来て生放送が始まる。さてここからである。カメラのスイッチングを任されたのである。

 5局あって、それぞれに天井カメラと横からのカメラがつくことは書いた。山ほどのカメラがある、これを、どの画面を放送するか、ほとんど羽生・先崎で決めてくれというのである。普通こんなことはありえない。別室で見ているディレクターが決めるのが放送というものなのである。出演者がするなんてことはありえない、というよりテレビ業界的には「あってはいけない」のである。じゃあなんでそんなことになったんだと言うと、そこにはふかーい事情があるのだった。