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「このまま父さんを家に連れて帰って、みんなでお正月を迎えようっていう話になっていたけど、やっぱり明日は親戚連中が大勢押し寄せてくるから、誰も父さんの相手をできそうになか。だけん、今日は子どもたちを連れて来たけん、それで我慢してくれんかな」と、とても申し訳なさそうな顔をしている息子の様子を見ると、石川さんはもう何も言えなくなってしまった。

 今日は大晦日。石川さんは、自宅に帰るために息子が迎えに来てくれるのを、ここ数日指折り数えて楽しみに待っていた。

 大晦日はみんなで年越しそばを食べ、元日は近所の小さな神社に初詣に行ったり、お節やお雑煮を食べたりする。そんなありきたりな日本のお正月の風景が、今の石川さんにとっては、希望以外のなにものでもなかった。それだけに石川さんのショックは大きかった。

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写真はイメージです ©AFLO

荷造りしていたカバンを開け、孫へのお年玉を取り出す

 しかし、ここでわがままを言って息子を困らせたくない、せっかくこうやって孫たちの顔を見せに来てくれたのだから、今は目の前の楽しい時間を過ごそう、そう自分自身に言い聞かせた。

「なら、今日お年玉を先に渡さんといかんね」と、大事に用意していたポチ袋を取り出すために、荷造りしておいたカバンを開けようとしたその瞬間、心に何かが覆いかぶさってきたような気がした。

 しかし、横に立つ息子に悟られまいと、石川さんはそのことに気づかないふりをした。一番下の孫は来年から小学生。まだお年玉の意味があまり分かっていなかったようだが、嬉しそうにしっかりと受け取ってくれて、石川さんは安堵した。

 久しぶりにゆっくり可愛い孫たちと話をすることができた。それは石川さんにとって、とても穏やかな時間だった。しかし、その時間が楽しければ楽しいほど、その後にやってくる反動は大きい。

「じーじ、ばいばーい!」と、大きく手をふってくれた孫たちに気づかれまいと必死に涙を我慢して、笑顔で見送った。閉まる自動扉をぼんやりと眺めながら、しばらく石川さんはロビーから動くことができなかった。大晦日の夕方、辺りが刻一刻と暗くなるにつれ、石川さんの心を覆った黒い影が、徐々に大きくなっていった。