遠野 ラブホテルで不倫相手と会っていました。妹が火傷をしたことを伝えたんですが、何のショックも受けていない母に対して驚いてしまって。
それに、妹を病院へ連れて行ったのはいいものの、私がまだ子供で、保護者ではないということで、何もできない状態で帰るしかありませんでした。
つらかったです。「私は結局お母さんになれないんだ」というのが。どれだけ母親らしいことをしていても、子供たちにとってはやっぱり、本当の母親は1人だけなんですよね。特に、私と違ってあの子たちは、母から殴る蹴るの虐待を受けていたわけではないから。
虐待や育児放棄に遭っていると周りに言えなかった理由
――当時、お母様の虐待や育児放棄に対して、周りに助けを求められる人はいませんでしたか。
遠野 いなかったですね、誰も。うちの問題はうちの問題だし、言っちゃいけないと思っていました。それに、言えないじゃないですか。暴力を振るわれているとか、母親が不倫して子供たちだけを置いて外出しっぱなしだとか。
口止めをされているわけではなかったと思いますけど、ただただ下の子たちを守るのに必死で。あの子たちの身を守ることが一番大事だったから、周りにどんな目で見られるかとか、どんな目に遭わせられるかとかを考えると、本当に言えませんでしたね。
――お母様も俳優を目指していらしたということですが、子役・俳優としての「遠野なぎこ」をどう思っていらしたのでしょう。
遠野 うーん、どうなんでしょう。人には自慢していたと思います、アクセサリー感覚というか。でも、自慢の中にもどこかトゲはありましたよ。
――「自分は子供ができたことで夢を壊されたのに」というような?
遠野 それはあったかもしれないですね。だから褒められたりしたことは一度もなかったです。私は母のために仕事を頑張っていたようなものだから、ただ認められたかっただけなんですけど。
――親から否定され続けたり認められなかったりした経験があると、大人になってからも、まだどこかで承認を求めてしまうものなのでしょうか。