幼い頃から母親の虐待や育児放棄に遭い、43歳になった現在もそのトラウマと闘っている俳優の遠野なぎこさん。実の母から「醜い」と否定され続けて育った彼女は、今も自分の姿をまともに鏡で見られないほどの“心の傷”を負っているという。
そんな遠野さんはこれまで、自身の壮絶な過去やいびつな親子関係と、どのように向き合ってきたのだろうか。そして、家庭環境や家族関係に苦しむ人々に、彼女が当事者として“伝えたいこと”とは――。(全3回の3回目/1回目から読む)
◆◆◆
母親には「娘」として見られてなかった
――遠野さんのお母様自身は、どういった境遇でお育ちになったのでしょう。
遠野なぎこさん(以下、遠野) 母は青森で生まれて、高校を中退したらしいんですけど、うちは祖父が学校の校長先生、祖母が着物の先生、叔母が公務員で、みんなそこそこ学歴があったんです。それがコンプレックスだった様子はありました。人に対して「何かで勝ちたい」という気持ちが強かったんだと思います。
だからこそ、3人目の夫にはお金持ちの地主を選んで、旅行に連れて行ってもらったりだとか、派手な暮らしをして、そういう面で勝った気になっていたんじゃないでしょうか。
――親子関係が悪かったというような話はありましたか?
遠野 多分親から責められたりしたことはあったと思います。彼女自身も摂食障害になっているわけですし、何か要因はあったんだろうと。母はコンプレックスがあったからこそ、自分のことを見てもらいたかったんだと思いますよ、きっと。
――だからこそ母親になりきれず、俳優として活躍する遠野さんを、「娘」としてではなく「女」として対抗心を燃やすような部分があったのかもしれませんね。
遠野 やっぱり娘として見られてはいなかったと思いますね。私はあまり家の事情だったり親との関係性だったりを誰かに話してこなかったので、そういう人が周りにいるかはわかりませんけど。世の中にはそうした親のもとに生まれて、苦しんでいる人は多いんだろうと思います。
――周りの人にお話をされるのはやはり抵抗がありますか?