1992年にテレビ朝日に入社し、『スーパーJチャンネル』『報道ステーション』など数々のニュース番組や情報番組を手掛けてきた鎮目(しずめ)博道さん。独立した今は、テレビ局に27年間在籍した立場だからこそわかる内部事情を様々なメディアで論じている。
ここでは、鎮目さんがドラマやワイドショーなど業界の「裏側」を解説する『腐ったテレビに誰がした? 「中の人」による検証と考察』(光文社)より一部を抜粋。BPOや「フェミニスト」への忖度で苦しむバラエティ番組の進むべき道とは——。(全2回の1回目/ドラマ編を読む)
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「どつき漫才」と「罰ゲーム」は本当にいじめを助長するのか?
いまテレビマンたちは、とにかく「とまどいながら」仕事をしています。それは、すべてのジャンルで同じです。どんな番組を制作するにしろ、「あらゆることの基準がはっきりしないので、どこまでがオッケーでどこからがアウトなのか」がまったくわからなくなっているのです。これは番組制作現場にとっては本当に悩ましい問題です。
「基準がはっきりしない」と言えば、いちばんはっきりしない基準が「痛みを伴う笑い」をどうするかについてです。2022年の4月にBPO(放送倫理・番組向上機構)の青少年委員会が「『痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー』は、青少年が模倣していじめに発展する危険性が考えられる」という見解を出したことがきっかけとなって、いやその前の2021年8月に「『痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー』を審議対象とすることを決めた」時点から、バラエティ番組の制作現場は「どうすればいいのか」と困惑し、混乱しているのです。
「痛みを伴う」という意味がなんともよくわかりません。厳密に考えれば「どつき漫才」のように相方を叩くのをウリにしている芸人さんもアウトです。「罰ゲーム」も、たとえ「からだにいいマッサージ」でも「高周波治療器」でも、だいたい痛みを伴いますからアウトですよね。現場の人間としては「どうしろと?」という感じですよ。
まあよくよく見解を見てみると「全部ダメ」と書いてあるわけでもないんですけど、テレビ局にとってみれば、BPOという組織自体がコワすぎて、まるで思想裁判所のようになっているわけです。「審議入り」になっただけで、平気で番組が終了したりしますからね。いくら「気をつけて制作するように」くらいの見解でも、テレビ局のエラい人は「BPOで問題になりそうなことはやめとけ」って忖度しますから、現場にしてみればもう「罰ゲーム」も「相方をどつく」のもおっかなびっくりです。
誰だって「おまえのせいで問題になった」と言われるのはイヤですから、バラエティ番組のプロデューサーたちも、よほど勇気のある人たちを除いて「問題になりそうなことは念のためやめておこう」となるわけです。
私はいつも思うんですけど、BPOってそもそもは政府などの介入を受けないように、業界が「表現の自由を守るため」につくった自主規制のための機構なんですよね。だったら「ここまではOKだよ」という「やれる範囲」を具体的に出すべきだと思うんです。そして、あくまでも「個別具体的な番組の問題」について見解を出さないと、です。
制作現場が「ヤバいこと」をして問題にならないように、「こういうことに気をつけよう」とか「ここまでなら許容範囲」といったことを教えてくれないと、表現の自由は守れませんし、「面白くて、でも視聴者に悪影響を与えない番組」はつくれないと思うんです。今回みたいに、具体的に問題になった番組があるわけでもないのに、「痛みを伴う笑いは悪影響を与える」とか、ざっくり大きく「包括的にNG」みたいな感じで見解を出すのって、政府による介入とたいして変わらなくないですか?