(佐平次)「実は私は表へ出たくとも出られねえわけがありまして。他でもねえ、一度表へこの家の敷居をまたぐと御用と。あっしは追手のかかる身なんでござんして」
(主人)「前科(まえ)があるのかい?」
(佐平次)「ええ、人殺しこそしませんが、盗み、たかり、脅し、家尻切り(やじきり)、かっぱらい」
(主人)「ちょちょいと、そんな前科があったのかい。もし、これがわかったら、うちの商売成り立たなくなっちまう。なんとか高跳びできないのかね」
(佐平次)「してえのは山々ですが、先立つこれがござんせんで」(中略)
(若衆)「あんな悪い奴にあんなにされて、銭やって。冗談じゃ。表から送るなんて。ああ、とんでもないことですよ。あんな者、裏から帰したらどうなんです」
(主人)「あんな者にウラを返されたら、後が怖いだろ」
談志落語の真髄は「落語は人間の業の肯定である」という言葉に尽きる。人間の弱さや愚かさを含め、そうした人間らしさを描き出すことこそが落語であるという。
赤穂浪士は四十七士。残りの家臣はどこへ行った?
「たとえば四十七士の物語で、あれ47人が仇討ったって、浅野内匠頭の浅野は少なくて も今流に言えば、社員は300人ぐらいいたろう」
「( 47人以外の人のほうが多いはずだが)行ったのは 47人ですね。あとは、みんな逃げちゃったわけでしょ。向こうは強いから仇なんか討てっこない。仮に討ったって、あとは切腹だ。切腹すると腹が痛えとか、いろんなこと言いながら逃げちゃったわけね。落語は逃げたほうにスポットを浴びせる。人間って逃げるよな、行かないよな」
「大義名分じゃねえんだ。小義なんだな。つまり、人間はなぜ生きるかとか、愛とは何だとか、正義とは何とか、そんなことを考えないで、 『お前、つまみ何か持って来い』『ないよ』『ないこたねえ、朝食べた納豆の残りが確25粒ぐらい残ってる』 。そういう小さいことよ」
「落語の廓噺の三大悪で、『居残り佐平次』、『突き落とし』、『付き馬』みたいなね。無銭飲食で逃げちゃうとかね。私はこれが落語だって言ってるんです。良い奴は良い奴、悪い奴は悪い奴、こすっからい奴はこすっからい奴。こすっからいためにこうなった、なんて言わないんだよな」