全力で駆け続けた談志を 61歳のとき、病魔が襲う。食道がんだった。談志は病と闘いながら、それでも理想の高座を追い求め続けた。
「だから『落語は業の肯定である』ということで救ってきたんですよね。だけど、手前がこんなに苦しがってると、何を言ってやがんだお前、と。何が業の肯定だと。これ(老い)まで肯定の中に入れればいいんじゃねえかと。
自分が弱いのかなあ。だからこの『弱いのかなあ』と言ってる言葉自体もキザでね。それを含めて『何を言ってやがんだ、この野郎』てなことにも気がつくわけですよ。甘ったれやがって、この野郎。『死にたい』なんてよく言うよ、この野郎。いい歳こきやがって、どんどん勝手に死にゃあいいじゃねえか、バカ野郎。刻一刻近づいてくる死に対して怯えているとしたら、自然と言えば自然かもしれないけど、非常に情けねえな。そんな怯えるほどのことは(ない)。みんな死ぬことは確かなんだから」
肉体の衰え、記憶の衰え、声の衰え。自らの衰えに戸惑い、苛立ち、もがき苦しんだ。弱音を漏らすこともあったが、自分を𠮟咤しながら高座に上がった。
「自分が納得しないものってのは嫌。しっかりしろ、立川談志」
「やっぱり客がそこそこ納得してるにしろ、自分が納得しないものってのは嫌ですからね。しっかりしろ、立川談志」
「『生きる』だね。命短し……」
喉頭がんを発病し、声が出にくくなっても、高座に上がり続けた。医師から声帯摘出手術を勧められていたが、それも断り、かすれた声で落語を演じ続けた。高座ではいつも客席に向けて丁寧にお辞儀をしていた。それは若い頃からずっと変わらなかった。落語家は本来アウトローであるべき。落語を愛し、客を楽しませ続けた 75年の生涯だった。
「学問ってのは何なんですかね?」 「学問?貧乏人の暇つぶしだよ」 「ああ、そうですか。努力って何ですか?」 「バカに与えた夢だ」 「若者に未来はあるんですかね?」 「未来はない。時間があるだけだよ」 「ああ、そうですかね。若者は長生きしませんか?」 「しないよ」 「証拠がありますか?」 「あるよ。若者で長生きしているやつは一人もいねえじゃねえか」(立川談志の落語「やかん」より)