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テレビ局に企画を持ち込み、のちの「笑点」へ。初代司会者を務めた

 古典落語に新たな命を吹き込んだ談志は、これからは落語家も寄席だけではなくテレビに出なければ駄目だとテレビ局に企画を持ち込む。これが現在まで続く「笑点」に発展し、談志は初代司会者を務めた。

 さらに、談志は政界に打って出る。69年の衆議院議員選挙に出馬するも落選。71年、35歳で参議院議員に当選する。最下位での当選だったが「真打ちは最後に出ると決まってるんだ」と言ってのけた。

「管理不能なのよ。落語家は落語だけやって、政治は政治の世界に任すなんていう。そんな常識的な奴が落語やったって面白くも何ともねえと思ったんです。『それいけ!』ってなもんで、オッチョコチョイが落語をやるから面白いんでね」

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 75年、沖縄開発政務次官に就任するが、酒が原因の失言で辞任することに。

「酒は人間をダメにするものでない。人間がダメだという確認をさせるために酒は存在する」

 47歳のときには、真打ち昇進問題をめぐって落語協会を脱会。弟子を引き連れて落語立川流を創設する。常に追い求めたのは、常識にとらわれない生き方だった。

©文藝春秋

晩年の談志が使っていたキーワードに込められた思い

 晩年の談志が頻繁に語っていたキーワードが「イリュージョン」である。人間誰しも持っている、非常識、不条理、非日常、無意味、混沌などを肯定するもので、落語の中に出てくるイメージの飛躍、突拍子のなさ、まったく予想できない展開など、具体的に説明しようと思ってもできない面白さ、おかしさ、それを誰かと共有できる喜びを指す。談志は落語でイリュージョンを表現できたとき、大きな充実感を得ていた。

「説明できない部分でいろんなものが交差しているでしょ、人間ね。空想というか、狂的なものが皆あるはずなんです。それらを纏めてイリュージョン(幻想)ということに。私にはこういうイリュージョンあるんだよ、あなたにもあるでしょ。こっちのイリュージョンについたイリュージョンは、これ、認められるね、あなたにもわかるね、このバカバカしさが、という。そういうものが山のように人間の中に詰まってて。

『居残り佐平次』みたいになると、『エヘラポー、ニシラツー、ズドンズドン、ブヒャー!』『何だいあいつはいったい』。そういう形にないみたいなものまでイリュージョンにぶっ込んじゃうという。60代でしたけど終わって抱きしめたいくらい、いい出来があった。自分で『ああ、いいな』と思った。そういう舞台が多々ありましたよ」