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11月5日、都内にある医師のクリニックで面会した後、すぐにLINEで予定の調整が始まり、19日後の11月24日に出発できるという。あまりに急な展開に小沢さんは戸惑いを覚えたが、ある大学の医学部に所属していた経歴もあるというその男性医師を小沢さんは信頼し、「信頼できる人がやっと現れてくれた」と喜んだ。ラグビー仲間も「早く治してこい」と気持ちよく送り出してくれた。
2170万円を振り込み、渡航を決断
その後もLINEでやり取りが続き、ウズベキスタンかキルギスの国立病院で手術を受けられることを伝えられた。移植の内容について「日本で初めて東京都中央区の保健所から海外移植の許可を得た。違法ではない」と説明され、小沢さんは安心していたという。11月12日に医師の言葉を信じて2170万円を振り込み、ついに渡航の決断をする。
この頃の医師とのLINEのやり取りを確認すると、パスポートの写真を送ったり、航空券の手配をしたり、診療情報を取り寄せたりと、慌ただしく渡航の予定が決まっていくやり取りが確認できる。突然現れた一筋の救いの光の中で、立ち止まって考える時間と心の余裕は小沢さんにはなかったのかもしれない。
12月1日に成田空港を出て途中ウズベキスタンの病院で透析治療を受けながら、ようやくキルギスのホテルに到着すると、聞いたことのあるしゃがれ声の日本語が聞こえてきた。
「やっと会えたね、小沢さん!」
現地で小沢さんを出迎えたのは、「難病患者支援の会」の菊池容疑者だった……。
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