ウズベキスタンの時点で不信感を感じていたが、実際に手術を受けるキルギスに入国した小沢さんを待っていたのは、なんと「難病患者支援の会」の菊池容疑者だった。小沢さんは都内の医師が渡航手術の仲介をしてくれたと思っていたが、急なスケジュールで詳細を確認できていないこともあり、実際は「難病患者支援の会」の管轄であることに気づかなかったのだ。
「キルギスのホテルに到着して、翌朝の朝食会場に菊池がいたんです。菊池は『やっと会えたね、小沢さん!』と話しかけてきました。僕は驚きながら『あれ、菊池さんのところなんですか?』と聞くと、『ウチ以外できるわけないじゃん!』と彼は笑っていましたよ。『難病患者支援の会』にはいい印象がなかったので失敗したなぁと思いました」
「犬の餌にでもなってんじゃねえか?」
キルギスには小沢さん以外に、半年前から滞在して移植を待つ日本人患者が男女1人ずついた。別のホテルでは10人ほどのアラブ人も移植手術を待っていた。小沢さんは現地にいた日本人とともに、治療を受けながら手術を待つ日々を送ることになった。
「夕食は患者3人と菊池で毎日一緒に食べていました。菊池は高飛車で、飲むと饒舌になり、いつも患者に説教を始めるんです。『そんなでっかい身体だと治るもんも治らないよ。運動足りてないんじゃない?』と絡んでくるので、『ついこの間までグラウンドを走り回ってたんだ、俺は!』とキレてしまいました。菊池が酔っ払って『先月、別の団体で移植のためにパキスタンに渡った日本人2人が行方不明になった』と話したことがあります。『2人はどうなったんですか』と聞いたら、『今ごろ犬の餌にでもなってんじゃねえか?』と笑っていました。どういう心境だったんでしょう」
縁を切ったはずの「難病患者支援の会」のてのひらの中に意図せず入り込んでしまった小沢さんだが、すでにキルギスまで来ており引き返すこともできなかった。しかし、やはりこの手術ツアーが臓器売買である気配を感じたのも、到着から数日後だったという。
「いつものように外へみんなでご飯を食べに行くと、酔っ払った菊池が『今日心電図いったでしょ? そん時、待合室に女の人がいたでしょ?』と聞いてきました。そして『それが小沢さんのドナーだよ』と言われたんです」