石川さんも「弓ヶ浜は虫や植物で楽しかったのに、鳥取砂丘はそうでもないんだな」と思い込んでいた。だが、採用時の審査で当時の所長や先輩ガイドらと砂丘を歩き、魅力に目を開かされた。観光ルートを少し外れれば、生物が多様な姿を見せていたのである。
鳥取砂丘は世界の海岸砂丘でも大きな起伏を持つ。風紋や砂柱、砂簾といった砂丘特有の景観だけでなく、砂丘ならではの命も育んでいたのだ。
これらを探究し、案内するガイドは、石川さんの天職と言ってよかった。それまでも休みの日にはひたすらキノコを探して山を歩いたり、林で鳥を終日観察したりして過ごしてきただけに、石川さんにピッタリな仕事だった。
ガイドとして働き始めたのは2015年4月。5月の連休までは観光客が多く、息つく暇もなかった。ゴールデンウィークが明けると、少し余裕が出てきたので、「砂丘を自分で探索していいよ」と上司に言われた。
日本海岸の春は遅い。砂丘の生物はまだ活発ではなかった。それでもどんな植物があるか、どんな虫がいるか、目を皿にして見る。
その時、視界に異物が入り込んだ。「虫を探す目」だからこそ見えたのだ。
“拾い物のエキスパート”が見つけた驚きの一品は?
「寛永通宝」だった。
江戸時代に流通した通貨だ。ちょっと古いテレビドラマだが、『銭形平次』の主人公が捕り物で投げるのがこれである。
石川さんは「変わった物を拾ったな」と思った程度だったが、隣の旧鳥取県砂丘事務所のスタッフがブログで紹介すると、テレビ局が取材に来た。
「そんなにすごい物だったのか」と驚いた石川さんは、以後も生物観察で砂丘を歩きながら、様々な拾い物をしていくことになる。虫などを探していると、自然に目に入ってしまうのだ。
「これは私に限らないようで、小学生をガイドする時も、普段から虫探しをしている子は様々な物を見つけます。あまりに見つけすぎて収拾がつかなくなる子もいるほどです」
寛永通宝はその後も見つかった。
「砂丘には鳥取の城下から但馬方面へ向かう往来が通っていました。かつては茶屋があったほどです。街道を行き来する人が落としたのではないでしょうか」と石川さんは推測している。
それにしても、昔の落とし物が時を超え、まるでタイムマシンに乗ったかのようにして出てくるのは不思議だ。
山陰の季節風は強い。冬には風速20mを超えることもあり、砂丘上では嵐のようになって砂が移動する。風紋を描くだけならいいが、ビジターセンターの駐車場では砂が1日に10cmも積もることさえある。除雪車で取り除かなければならなくなるほど砂が動くのだから、埋もれていた物も出てくる。
だが、見つけた時に拾わなければ、また埋もれてタイムマシンに乗ってしまう。次にいつ出てくるかは分からない。