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なぜ多種多様なものが見つかるのだろうか

 石川さんは、次第に拾い物にのめり込んでいった。拾い物から鳥取砂丘の歴史や人との関わりを解き明かす物が次々と出てきて面白くなってしまったのだ。

 例えば、拾い物が埋もれた時期で、砂丘の状態が分かる。

 砂丘で出てくる最も古い物は「高師(たかし)小僧」だろう。

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高師小僧(鳥取砂丘ビジターセンター) ©葉上太郎

 高師小僧とは、水辺や湿原の植物の根の回りで固まった鉱物だ。

「湿地が赤茶けていることがありますよね。あれは微生物が金属などを作り出しているからです。そうした場所に生える植物は、根から水を吸う時に不要な金属類を取り込みません。このため金属類は根の回りで固まります。植物が枯れた後も金属類の固まりは根が広がっていた形に残り、人形のように見えるので『小僧』。最初に研究されたのが愛知県の高師原だったから、高師小僧と名付けられました」。石川さんが手に取った高師小僧の真ん中には、根の丸い跡が空いていた。

「鳥取砂丘も、歴史的にはずっと同じ形ではありません。気候変動による温暖化と寒冷化の影響を受けてきました。温暖になると海面が上がり、海が近くなって砂が飛びます。寒冷になると海面が下がり、海が遠くなって砂丘上で人が活動するのです。温暖化していた時代には湿地というか、入江に近い状態だった場所もあったようで、その頃にできた高師小僧が今になって出てくるのです」

鳥取砂丘は寒暖の気候変化で海との距離が変わった ©葉上太郎

 4000年ほど前の縄文後期から寒冷化して砂丘が発達し、続く弥生、古墳時代と砂丘での人間の動きが活発になった。

 このため砂丘からは、縄文土器が出てくる。

「縄文土器は縄で付けた文様が特徴的です。砂丘の近くには全国に誇るような縄文遺跡もあります。弥生土器の系統を引く素焼きの土師(はじ)器、須恵器も出てきます。考古学の先生には『普通の遺跡より出土物の状態がいい』と言われます」

縄文時代のナイフ石匙(さじ)。矢尻(鳥取砂丘ビジターセンター) ©葉上太郎

 打製石器の矢尻や、動物の肉や脂を削ぐ石匙(さじ)も見つかった。「砂丘が草原化して動物が生息するようになったのでしょう。人間が追いかけて来て狩りをしたことがうかがわれます」。