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 友人の命が助かったことはなによりだったが、コレクターとしての気持ちもわかるだけに、その心中は察するに余りある。

「改めて、モノって儚いなと思い知りましたね。どんなに苦心して集めても、一夜で燃えてなくなることもある。火事や事故だけでなく、日本には天変地異による災害もあるじゃないですか。

 僕はコンテナ倉庫に毎月何万円も払って保管してますけど、地震で建物がつぶれて駄目になることもあるかもしれないし、洪水で流されてしまうこともある。どこにどう保管しても100%安心はできないし、明日は我が身じゃないですか」

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悔いの残らない「遺し方」

 いろいろなコレクションの「終わり」を間近に見たことで、前向きにコレクションの整理を考えるようになったという。

「とりあえず、いま売れるモノは売りはじめてますね。それでもやっぱり売りたくないモノはあって、それってコレクションをはじめた当初に手に入れたモノだったり、自分しかわからないようなジャンルのモノだったりするんですよ。だから、いろいろ手を広げていったけど、最終的には自分だけのコアなコレクションに収束していくんだなと思いましたね」

 コレクションの原点は、モノに対する個人的な思い入れ。そう考えると、あらゆるコレクションは集めた人にしか、その真の価値はわからない。あそこで手に入れた、こうして出会った……。その思い出に意味がある。

 でも、だからこそ残したいという欲もある。そのためには、少しでも価値をわかってくれる人の手に託すのが一番のようだ。

「家族に処分してもらうにしても、友人に形見分けするにしても、やっぱり集めたモノたちをどうするかについては一筆残しておいたほうがいいと思います。また、膨大なコレクションをどうすればいいか困ってる遺族の方がいらっしゃるなら、そのスジの専門店や業者に頼んでみるのがいいですね。

 それも難しければ、SNSなどで『こんなモノが大量に残されてます』と呟いてみれば、誰かが反応してくれて、そのモノの価値や適切な処分先を提案してくれると思います」

 すべてのコレクションは一代限り。モノは墓まで持っていけないし、そこに込められた想いや執着心も持っていけない。残される人たちのことを考えて、生前に方針を決めておくことが終活の第一歩のようだ。