裁判所は、「自殺を予見することは困難」として道の責任を認めなかった。しかし、前日の指導を問題視した。「事実確認がなく、指導の趣旨を生徒に理解できるように説明した形跡がない」「教育的効果を発揮するどころか、かえって本件生徒を混乱させる指導」「組織的に対応をしていれば、不合理な指導は回避できた」「本件自殺が前日指導を契機として生じた」と指摘。踏み込んだ内容となった。
学校側から反省や謝罪の言葉は何もなかった
「悠太が亡くなった後、学校から在校生と会うことは避けるように言われていました。学校に問い合わせても、常に『調査中』でした。裁判になったことで、周囲の人たちも、『学校側からなんも説明受けてないんじゃないか』『(自殺後の)アンケートもお母さんに行くものだと思って、私たちは書いた』と言っていました。
いろんなことを生徒たちが教えてくれました。遺族を除く保護者説明会の録音データの提供もありました。顧問の指導を問題視する声がありました。しかし学校側は『指導は適切だった』などと周知していたのです。また、かつての顧問の同僚の先生に陳述書を書いてもらうことができました。
一審判決のときは指導が『適切』とされ、学校も道教委も、そして裁判所までも、悠太の死に向き合ってくれないのかと思ったほどです。しかし、高裁判決では『不適切』とされたことで、ほっとしました。調査委も設置されない中、唯一、顧問の『指導』を『不適切・不合理』として、自殺に至った心理面を知ろうと考えてくれた裁判所の判断には救われました」(同前)
札幌高裁の長谷川裁判長は、事務連絡を2回するほど、遺族側の主張を補強するように求めた。異例のことだが、弁護士が作成した準備書面とは別に、遺族が意見書を何度も提出した結果とも言える。結審後、何度も和解期日を設けていたが、道側は話し合いのテーブルにつくことはなかった。
「学校は責任回避に終始するのではなく、裁判で新たに明らかになった事実を含めて、適切な検証を行い、改めるべきところは改めてほしい。教育現場や行政の改善を願い、教訓的な意味をもつ和解を実現したいと考えました。しかし、道側は一度も応じてくれなかったことが残念でした。学校側からは、反省や謝罪の言葉は何もありません」(同前)
「生徒指導提要」がちゃんと普及されていれば…
指導の方法・手順について書かれた、生徒指導の基本書として「生徒指導提要」がある。裁判でも証拠提出した。22年12月、12年ぶりに「提要」が改訂され、「教職員による不適切な指導等が不登校や自殺のきっかけになる場合もある」との文言が入った。悠太さんの遺族たちを含む、不適切な指導によって自殺した生徒の遺族らでつくる「安全な生徒指導を考える会」が要望したことが背景にある。