「悠太が亡くなったことで、人を言葉で殺せるのを知りました。私は、悠太がいないまま、悠太と生きていくはずだった未来を生きています。10年たった今でも、悠太のことを考えない日は1日もありません。
亡くなる前日、悠太はご飯もほとんど食べませんでした。そんな姿を見たのは初めてです。そのとき、指導のことを話してくれたのですが、私は『何があったかちゃんと確認できるまで、部活に行かなくていいんじゃない?』と言いました。悠太は『明日行かないとやめさせられる』と何度も言っていました。大切な居場所を失いたくなくて必死だったのでしょう。簡単に諦めたり、簡単に死にたくなったりしたわけではないと思います」
2013年3月3日、北海道立札幌東陵高校の1年、悠太さん(享年16)が、地下鉄の電車にはねられて死亡した。冒頭の言葉は、姉の夏希さん(仮名)によるものだ。
悠太さんが亡くなってから今年で10年。その間、遺族の北海道に対する訴訟では、遺族の訴えは棄却されたものの、自殺前日にあった吹奏楽部顧問による指導は「不適切・不合理」で、自殺の契機だったと認定する判決が札幌高裁でくだされた(遺族側は上告せず)。
あらためて遺族に話を聞いた。
遺されたメモには「正直に言う/全く心当たりがない」
「いつも考えていますので、10年を特別に意識はしていません。悠太の写真を手帳に入れて、いつも持ち歩いています。トランペットを吹いているものと、姉との最後のツーショットなどの写真です。あの日は、姉の高校卒業と進学、お雛様をかねて、夜に写真を撮る予定でした。悠太と姉が一緒にいるのが当たり前でしたが、もうツーショット写真が撮れないのは悲しい」
そう話すのは母親の綾華さん(仮名)。自宅には、使っていたトランペットが保管されている。また、夏希さんの部屋には、中学の吹奏楽部で活躍していた悠太さんの写真と、高校の部活の衣装合わせのときの写真が置かれている。当初、夏希さんは地下鉄を遠ざけていたが、今では利用ができるようになった。ただし、悠太さんが亡くなった駅にはいまだに足が向かない。
悠太さんは、自殺前日の夜、母親と姉に、顧問から受けた指導について話した。また、悠太さんは遺書めいたメモや友人あてのメールを残した。顧問の指導について「正直に言う/全く心当たりがない/先生が何のことを言っているのか/サッパリわからない」などとある。
では、前日の指導はどんなものだったのか。