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 しかし、村は猟銃を手にする男たちが集う一族・後藤家が実質的に支配していた。あるとき、大悟は失踪した前任の駐在、狩野(矢柴俊博)が後藤家に発した不穏な言葉を知る。「あんたら人間を喰ってる!」。はたして、供花村は「食人村」なのか?

「こいつを喰うことで、婆ちゃんは血と肉んなって、わしらの中で生き続ける」

『ガンニバル』はそのタイトルからもわかるように、「食人(カニバル/カニバリズム)」が大きなモチーフになっている。主人公の大悟は「この村では人間が喰われている」という噂の真相を確かめるべく、村の深部へと分け入っていく。

「食人」に関する習慣は、世界の複数の地域で見られていた。なかでも本作の鍵になっているのが、飢餓や戦争などの緊急事態下での人肉食や趣味嗜好としての人肉食ではなく、死体を食べることで死者を弔う「食葬文化」だ。

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 食葬文化は、親族や知人たちが死者を食べることで、魂や肉体を受け継ぐことができるという考え方に基づいて行われる。作中で触れられている、パプアニューギニアのフォレ族で行われていた儀礼も同様である。

 第1話で恵介(笠原)をはじめとする後藤家の男たちが、一族の当主・銀(倍賞)を喰った熊を射殺した後、熊の内臓を生のまま貪り食う。恵介は「こいつを喰うことで、婆ちゃんは血と肉んなって、わしらの中で生き続ける」と説明するが、これは食葬文化の考え方そのものだ。

“そばにあってもおかしくない身近なタブー”

 日本でも近年まで食葬文化があった。といっても、日本の場合は遺体を火葬するため、遺骨を粉にして服用する。

 元国立民族学博物館教授の近藤雅樹氏の研究「現代日本の食屍習俗について」(12年)によると、このような習俗が日本の各地で20世紀後半まで確認されている。いずれも長寿をまっとうした者や崇敬を集めていた者が被食対象になったという。

 また、20世紀中盤には「頭がよかった故人にあやかろうとして、焼けた脳みそをそれぞれに食べた」事例が報告されている。

 西南日本のある地域では、葬式に行くことを「骨噛み(ホネカミ)に行く」と呼ぶ地域がある。食葬文化とは異なるが、映画『仁義の墓場』(75年)には、主人公の渡哲也が一種の愛情表現として妻の遺骨を食べる場面があった。