1ページ目から読む
4/4ページ目

「家」「村」を維持するために犠牲になる「個」

 後藤家の当主・後藤銀は、何よりも「家」への忠誠を一族に求める。彼らを結びつけるものは「血」だ。

 後藤家は自分たちの血を受け継ぐ跡取りを何よりも大事にする。一般社会の常識、倫理観、そして法律さえも彼らの前では意味をなさない。こうして後藤家は跡取りを作り、同時に「食人」というタブーを強固に守ってきた。銀はこう言う。「個は捨てろ。個は家族を危険に晒す。捨てられん時は、死を選べ」。

「家」というシステム、体制を守るために、「個」を犠牲にしなければならない。これは、よしながふみ原作のドラマ『大奥』(NHK)とも通底したテーマだ。日本では長らくこうしたことがあちこちで行われてきたということなのだろう。

ADVERTISEMENT

『ガンニバル』が特異なのは“狂気じみた暴力性と行動力”をもった主人公

『ガンニバル』の特異なポイントは、上記の「村八分スリラー」の多くは閉鎖的な共同体に入り込むのが都市的でひ弱なインテリ層なのに対して、柳楽優弥演じる主人公・大悟が狂気じみた暴力性と行動力を帯びていることにある。

開幕した第35回東京国際映画祭のレッドカーペットに登場した(左から)片山慎三監督、柳楽優弥、笠松将(東京都千代田区の東京ミッドタウン日比谷前)©時事通信社

 プライバシーを守るため、家の前にフェンスを建てようとすると、さぶに咎められて「供花村で生きていくいうこたあ、そういうことじゃ」ともっともらしいことを言われるが、大悟は咄嗟に「めんどくせえ」と吐き捨てる。猟銃を構える後藤家や陰湿な村人たちと対峙しても一歩も引かず、何かと「あ?」とブチ切れる。大悟には「家族を守る」「真相を突き止める」という大義があるが、実際はトラブルがあると血が騒いで止まらないアドレナリン・ジャンキーでもある。

 柳楽といえば、Netflix『浅草キッド』(21年)でビートたけしの若かりし頃を演じ、憑依的な演技が評判を呼んでいたが、『ガンニバル』の大悟役はたけしが『その男、凶暴につき』(89年)で演じた暴力刑事・我妻の面影が残っている。

 ドラマ『ガンニバル』は原作の途中で終わっているので、多くの視聴者がシーズン2を待望している。原作どおりなら、さらに血で血を洗う激しいバイオレンスが待ち受けているだろう。閉鎖的な村社会や古い因習に縛られた世界が、激しい「個」に叩き潰されるところを観たい。『ガンニバル』はそんな欲望をかなえてくれる作品だ。