「僕たちも田舎に染まってるな」
――東京にいた時と比べて柳生さんの中で何か変わった心境などはありましたか。
柳生 これは自身の問題になるのですが、自分を過信する、力を見誤ってしまうのではないかと危惧していました。どうしても東京にいたことで、情報感度が圧倒的に高くなってしまうんです。なので、YouTubeで予想よりも早く目標に到達してしまったりすると、凄まじい万能感みたいなものが溢れてくるんですよ。
これが東京にいたら、僕なんかよりも上のすごい人たちがいっぱいいるから、そんなこと思いもしないんですけど。人の少ない地域にいると、そういったことで鼻高々になる危険性が出てくる。井の中の蛙以下になってしまわないようにと、それだけは気をつけていました。
あと、他の住民のことを覗くまではいかないけど、気になってくるんですよね。「○○さんちの車がないけど、どこに行ってるんだろう」「たしか、今日は○○さんの家に行ってるよ。なんの話ししてんだろうね?」なんて会話を夫婦でしちゃっているんですよ。これには「僕たちも田舎に染まってるな」って。
――YouTubeをやっていることで何か言われたりすることは?
柳生 地元のある団体から、YouTubeが地域のPRになっていないと言われました。動画を見ても、この地域のことだとわからないという。
――そのあたりがYouTubeでも話していた移住失敗につながるわけですね。
柳生 自然に恵まれてはいますけど、突出したなにかがある地域ではないんです。だから、地域を取り上げるんじゃなくて、誰々が住んでいる、何々を作っている、といった感じでブランディングしないと埋もれてしまうなと考えたんです。
そこでまずはYouTuberとして自分の影響力をつけて、「この人はいったいどこに住んでいるんだろう?」と興味を抱いてもらえるようにしてから「ここは〇〇です」と出したほうが、インパクトがあるだろうって。
――なるほど。
柳生 それを説明していたんですけど、そういった経営的な視点が折り合わなくて。それでその団体とすれ違いが起きるようになってしまいました。「こいつは自分のことしか考えてない」と捉えられてしまったようで、そこから「柳生が協力隊の仕事を放棄した」みたいな噂が広まるようになりましたね。
それが2022年の4月か5月あたりです。YouTubeの収益化ができているのを行政の方も把握していて、ちょっと評価されていたんですけど。そういういざこざを筆頭に、いろいろとあって「これはきついかも」と。
でも、僕の場合はあくまで一例で。もちろん向こうにも言い分があると思いますし、どちらが悪いとかではなく、合う合わないというところが大きかったと思います。