マーケットを支配する大企業が壊した“伝統”
山極 今、僕が食に関して深く懸念しているのはフードチェーンの問題です。例えば、日本ではマーケットに並ぶ魚製品というのは質も量も大体均一でないと困るという理由から、伝統的な近海漁業が姿を消しつつある。なぜなら近海漁業は日々の天気や季節、波の影響、気候変動の影響によって獲れ高が全く違う。質や量をコントールしやすい遠洋漁業や養殖に比して不確実性が高いため、マーケットを支配する大企業からは、見放されつつあるんですね。
堤 それは大きな問題ですね。近海の天然のお魚が減った分、海外から乱獲された魚や養殖の魚が輸入されてきて、ますます悪循環。値段や生産性という、市場の都合だけで価値を測られた魚たちは、生き物ではなく「モノ」ですね。生態系を無視した皺寄せに気づくどころか、日本では効率がいい陸上養殖をもっと自由にできるよう漁業法を変え、異業種やベンチャーなどがどんどん参入しています。
山極 それは農業も一緒で、規格に合わない野菜は企業が引き取ってくれないから、どんどん捨てられてしまう。私はいま京都市動物園の名誉園長をしていますが、京都周辺の野菜農家さんに「捨てる野菜は動物園に寄付してください」と呼びかけたら、野菜をどんどん寄付してくれたそうです。動物たちは野菜で暮らせるようになり、農家さんもせっかく育てた野菜を捨てずにすむと喜んでくれてウィンウィンの関係です。
我々は果物も野菜も魚も、値段を見て「商品価値」と思って買うけれども、本当の価値は値段ではなく「使用価値」にあるんですね。いびつな形の野菜だって、食べ物としての使用価値が一緒なら、同じ値段でスーパーに出せばいい。そこから社会の常識を変えていかないと、過大生産・過大消費・過大廃棄はこの先もずっと続いてしまう。
堤 確かに生産性だけで考えれば、出来るだけ同じ規格で大量に、低コストの途上国で作って輸出した方が効率がいいのでしょう。でも今回の本で、「食」が持つ多くの付加価値に改めて気づかされました。山極先生がおっしゃっていた「農業の原点は食料生産を通じて人々がつながること」という指摘にも、深く共感します。
山極 食べ物をつくって他者と分かち合う「食事」は、人間がつくった最初の文化です。文字通り「食」に「事」がついた、人と人をつなぐ行事であり、集団的な営為なんですね。