いわゆる袴田事件で死刑が確定し、裁判のやり直しを求めている袴田巖元被告。裁判をやり直すかどうか、3月13日に東京高裁で判断が示される。なぜ逮捕されたのか、勾留生活はどんなものだったのか。袴田元被告のこれまでの人生を振り返る。
釈放からまもなく9年
袴田巖元被告86歳。
3月13日に迫った東京高裁の再審可否の判断、やり直しの裁判を待っている。
「根性が通じた闘いはまだある。結果として色々な闘いはある…」
支援者集会でのあいさつは、大半が脈絡のない話。釈放からまもなく9年、長年の拘禁生活の影響が、いまだ色濃く残っている。
2014年3月、東京拘置所から釈放された袴田元被告。
体調の確認や治療のため、2カ月間、都内の精神科病院に入院した。退院後は浜松の自宅に戻り、姉と日々を過ごしている。
袴田元被告の姉・ひで子さん:
9年前に出てきたときのことを思えば多少良くなってる。表情なんかね、にっこり笑うようになったし、はじめなんかあくびもしなかった
一方、釈放時に診察・治療にあたった医師は…。
多摩あおば病院・中島 直 副院長:
お年を召したなというのは感じましたが、あまり変わっていないなという感じですね。例えば、表情の硬さが残っていたり、手を上げたり、合図をするような挨拶をするような。それが誰に対してのものでもないような動作がこれまでの経過を知っていると、拘禁症の症状が残ってるんだろうなと想像つく、そういう感じですね
6人きょうだいの末っ子、ボクシングの日本ラインカーに
袴田巖元被告は、1936年3月10日、浜松市で6人きょうだいの末っ子として生まれた。元被告9歳、姉12歳の時に、終戦を迎えている。
袴田元被告の姉・ひで子さん:
おとなしい子だよ、おとなしくて無口な子だった。遊ぶにも後をつけて、B29が来たときに私は屋根に上れば、飛行機が見えると思って行ったら、巖も追いかけてきて、一緒に2人で見てた
中学を卒業後、23歳でプロボクサーとなった袴田元被告。
フェザー級の日本ランキング6位に上り詰め、海外遠征もした。引退後、清水でスナックを経営し、その後 みそ会社で、住み込みで働くようになった。