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「なんてエレガントなんだ」フランス人スタッフも感嘆…名監督らをメロメロにした倍賞千恵子(81)の“人間力”

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2023/03/10
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主演が倍賞千恵子でなければならなかった理由

『PLAN75』のプロット、アイデアそのものは近未来フィクションとしてそれほど斬新なものではない。古くは姥捨山のイメージから始まり、昭和の時代に描かれた藤子・F・不二雄の『定年退食』をはじめ、多くのSF作品で描かれたテーマだ。しかし『PLAN75』がこれほど高い評価を得たのは、これが長編初作品となる早川千絵監督の息詰まるようなリアルな演出と、9年ぶりの主演作品となる倍賞千恵子の演技力によるところが大きい。

「観た人がかわいそうだと思うような主人公ではなく、自然と好きになり、感情移入してしまうような主人公にしたかった。そのためにも、凛とした美しさや人間としての魅力を備えた方に演じてもらいたかったんです。それで真っ先に倍賞さんを思い浮かべました」と早川監督が語るように、高齢者の自死を認める社会の中で揺れ動く身寄りのない1人の高齢女性を演じる倍賞千恵子は、観客を猛烈な力で物語の中に引き込んでいく。

©文藝春秋

『PLAN75』の演出が巧みなのは、いかにも独裁者然とした政治家や、高齢者に石を投げる群衆といった分かりやすい悪を一切描かないことだ。近未来の日本は民主主義社会であり、メディアも窓口の公務員たちも、静かに優しい口調を崩さない。

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 75歳以上の自死はあくまで自己決定であり、家族や資産に守られて長く生きる高齢者たちも当然いる。にもかかわらず、社会を満たす透明な洪水の水位が上がるように孤独な高齢者たちが追い詰められ、自死に追い込まれていく早川監督の演出と描写、そして倍賞千恵子の演技がズバ抜けているのだ。

 それは自由と人権で入念に組み立てられたアウシュビッツであり、音を立てない静かな特攻である。映画のどこにもアクションシーンやスリリングな音楽は流れないにも関わらず、観客は手に冷や汗を握り、心臓の鼓動を早めて倍賞千恵子が演じる高齢女性の生死を見守ることになる。

『PLAN75』が観客に想起させる記憶のひとつは、社会の中で見過ごしてきた働く高齢者たちの姿だ。通勤客が並ぶ駅の立ち食い蕎麦屋のカウンターの中で、公衆トイレの掃除業者として、私たちは倍賞千恵子が演じるような高齢の労働者とすれ違い、そして風景のように見過ごしてきた。

 コロナ禍の中で雑踏やトイレといった感染リスクの高い場で働き、そして年齢的にも重症化リスクを抱える高齢労働者の低賃金により社会は支えられている。それは近未来ではなく今既にシステムとして駆動する『PLAN75』だ。

 80歳を迎えた倍賞千恵子は、日本の高度経済成長を支えたにもかかわらず、身を丸めるようにして生きる高齢労働者の姿を見事な演技で表現している。