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 まるで皇族ご子弟のご進学先選びにも似た一喜一憂があるのも当然で、広末涼子が早稲田に入った以上の衝撃波が世間を覆ってしまったわけです。政治学科へ入学する話は早くからあったようですが、実際きな臭い話もありつつ、そういう周辺の思惑や親離れなども含めて芦田愛菜さん自身が抱いてきた「どういう人生を送りたいか」を熟考したり、第三者の思惑を排して自分自身の人生と向き合うには、政治学科は確かに最適であったろうと思うのです。

自分のことを思い未来を見定める期間にして欲しい

 私も人生を振り返ってみると、そりゃいいことばかりではなかったけれど、しかし慶應義塾に通った11年間は、苛烈過ぎた中学受験戦争にどっぷり浸かり、うっかり成績がよかったものだから高得点を取りランキングで勝ち誇る喜びにしか価値を置いていなかった私をそれなりの人間にし、また、現在こんな記事を書いているように相応に過酷な社会で生き残る術を与えてくれました。

 さらに慶應義塾で培った学び続ける習慣ゆえに、50歳になってなお新潟大学で博士課程に入学しました。身の回りを見ると圧倒的にジジイです。自分の人生について、自分で考えるという当たり前のことができるようになっていたのだ、と気づいたのは随分あとのことで、それが独立自尊の考え方に通じるものだと肌身で感じるようになりました。

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 それもこれも福沢諭吉先生の教えの賜物なのだというと、「慶應義塾は宗教」とか「三田会マフィアが日本経済を支配する」などの陰謀論が出てくることもあります。そういう一面もあるかもしれませんが、第三者からどう言われようと、慶應義塾という好き勝手できる環境の中で自分がどうあるべきかを考えたり、遊び惚けていてもどこか頭の片隅に慶應なるものがあるならば、かなりのことが許される環境と言えます。

 むしろ、芦田愛菜さんほどの人であれば、慶應義塾という伝統の上に新たな宗教の開祖となるぐらいの勢いで取り組んでほしいと思いつつも、そういう世間の過剰な期待を洗い流す期間として、包容力のある政治学科で自分のことを思い未来を見定める期間にしてほしいなあと願う次第です。