というのも、慶應義塾の政治学科は特に、文系と言いつつも私のように統計学をメインとした理系肌の人間もいれば、政治の持つ哲学的な事柄を追究する奴らもいて、現代アメリカ政治や日欧関係に興味を持つ塾生たちが自ら学びたいことを選んで設定し、自発的に取り組んでいく気風も宿しています。
もちろん必ずしも優秀でない方もいますが、英語や多国語の修得や海外留学では政治学科から世界に羽ばたく塾生が多いのも頼もしく思っていますし、関係先の財団では母数がそう多くないにもかかわらず毎年のように政治学科の塾生たちが返済不要の奨学金を勝ち取っています。
芦田愛菜さんに関しては、奨学金というよりはおカネを預けると数年で数百倍で返ってきそうな気がしますが、そういう規格外の人も難なく受け入れられるのが政治学科の特徴とも言えます。
「芦田愛菜を総理大臣に」という声が広く聞かれるように
それもこれも、あたかも政治学科に「専門はない」かのように見せかけて、政治という、人と人との関わりについてジェネラルに幅広く学ぶことのできる学問領域の奥の深さが内在していることの証左です。また、かたや内面を考える哲学から政治思想、実学においては現代政治学や制度論、国際関係まで人間に関わることに取り組めるのが政治学科の魅力でもあるのです。社会に生きる人の幸福を願う学問領域が政治学科である、と言えましょう。
他方で、芦田愛菜さんに対しては、早くも「総理大臣に」という声が広く聞かれるようになりました。さすがに早すぎんだろ。スラムダンクばりに「芦田愛菜なら何とかしてくれる」という声望が高まるのも、割と日本社会の衰退が現実のものとなって、どうにもならなくなったところへ救世主待望論のように「あー、芦田愛菜が総理なら俺の生活も楽になるのになあ」と国民もぼんやりそう思っているのです。
自分自身の人生と向き合うには、政治学科は最適
藤井聡太さんが将棋の歴史を根本から塗り替えるような爆勝街道を往き、大谷翔平さんが前人未踏の記録を打ち立て続けている中にあって、日本人の願望を期待されがちな同じ英雄としての芦田愛菜さんにも、どうしても「どうせなら日本政治初の女性総理大臣に」みたいな話になるのも仕方がないと思うんですよ。いろんな意味で、完璧すぎて。芦田愛菜さんに関しては物語性が強いこともあって、国民の都合の良い理想や希望が全部乗せになってしまう怖れはすごくあります。