未曽有のパンデミックが人類に牙を剥いたとき、私たちはどう立ち向かったのか。中世なら、人々はひたすら加持祈祷にすがり、国家が造立した大仏に救いを求めただろう。21世紀のいまは、人流を大幅に制限し、ワクチンをつくって新型コロナに挑んだ。
その一方で、ワクチンの効果に疑いを抱く草の根の人々も少なくなかった。私の周りにも、ワクチンは巨利を貪る超大国の陰謀だと信じて接種を拒んだ果てに感染し、いまも肺に重い疾患を抱えているひとがいる。
「マスク着用などと馬鹿げたことを考えている人! やめときたまえ」「デルタ変異株の存在なんか信じるな」
本書は冒頭で米国テネシー州の著名な牧師が聴衆にこう呼びかける光景を紹介している。2021年7月当時、テネシー州のワクチンの初回接種率は44%と全米の最低レベル。当地の死者の98%はワクチンを全く打っていなかった。信者に絶大な影響力を振るう福音派の宗教指導者の存在が背後にあったと著者は指摘している。
陰謀論を流布するQアノンの影もちらつく「クリスチャン・ナショナリズム」の潮流は、トランプという異形の大統領を米国に誕生させた。洗礼を通じて生まれ変わり、聖書を唯一の拠り所とする一群は、バイブル・ベルト地帯に暮らし、超大国に原理主義のうねりを生み出した。私がワシントン特派員の時代、公的な教育を信用せず、教会が配布する教科書で自ら子供を教える親たちを取材した。その人口はなんと全米の4割近くにも及び、「もう一つのアメリカ」がそこにあった。
「クリスチャン・ナショナリストは、彼らの信じるキリスト教原理を社会道徳の絶対的な規範と考えており、これを脅かす存在を敵視する」
彼らは聖なる教会に連邦政府が介入し、防疫を理由に信者の集いを禁じ、ワクチンで清らかな血を汚していると激しく抗った。
だが、原理主義がかくも猛威を振るったのは、コロナ禍の以前に宗教が復興しつつあったからだと著者は分析する。こうした現象はキリスト教だけでなく、ユダヤ教、ロシア正教、ヒンドゥー教、イスラム教でも顕著だったと豊富な具体例を挙げて明らかにしている。翻ってニッポンでは宗教に復興の兆しは窺えるのだろうかと著者は問いかける。
「科学的根拠のない不正確な情報、迷信に振り回されることなく、厚生労働省で提供される情報や、医学情報などに基づき、かかりつけ医などに相談しながら、冷静に生活を」
曹洞宗の指導者はコロナ禍に苦しむ信徒にこう呼びかけたが、心の奥深くに潜む人々の不安を掬い取っているとは言い難い。日本の宗教指導者よ、いまの時代が直面する課題に新たな灯を指し示してほしい――世界の宗教にあまねく通じた著者の願いが行間に滲んでいるように思う。
おがわただし/1959年、神戸市生まれ。早稲田大学大学院博士課程修了。国際交流基金を経て、跡見学園女子大学文学部教授。専門は国際関係、東南・南アジア研究、文化交流政策。著書に『国境を越えるためのブックガイド50』『自分探しするアジアの国々』など。
てしまりゅういち/1949年生まれ。外交ジャーナリスト・作家。著書に『武漢コンフィデンシャル』『鳴かずのカッコウ』などがある。