本書における「死者」は遺体を指すのではない。五感の彼方でその実在を感じる「生きている死者」を意味する。
本書は、二人の宗教学者による東日本大震災の被災地における「死者」という現象を可能なかぎり学問的態度によって探究しようとした試みである。
副題に「『霊的体験』の死生学」と記されているように、「霊」は、この本を読み解く重要な鍵語(かぎご)になる。それは、幽霊や心霊現象というときの「霊」に留まらない。なぜなら、「霊」は死者のありようを指すだけでなく、生者の存在を規定するものでもあるからだ。著者たちがナチス・ドイツの強制収容所での経験が語られた『夜と霧』の作者ヴィクトール・フランクルにふれ、語っているように、生者と死者はともに「霊的」存在であることにおいてこそ、深く結びつくのである。
著者たちはともに今日の宗教学、死生学研究を牽引しているだけでなく、心理学においても造詣が深い。そのことが本研究の成立をより確かなものにしている。
この本は、著者の一人高橋原と臨床宗教師の育成に心血を注いだ故・岡部健との対話によって始まった。岡部は、ユング心理学の研究者でもある高橋にむかって「いま、被災地では集合的無意識が噴出しているんだ」と語ったという。
著者は、死者を「心的現実」あるいは「物語的現実」と呼ぶ。岡部が用いた「集合的無意識」という言葉に象徴されるように、本書における「心」は、個人的な意識に終始する現象ではない。それは他者だけでなく、歴史、文化、さらにいえば永遠と呼ぶほかない境域にも開かれている。人は、死者を深く経験することによって自己をとりまくさまざまな「現実」に目を開かれていく。そうした様子が、本書の随処に記されている。
「物語」という言葉にも留意が必要だ。「物語」は「作り話」を意味しない。それは「物」という未知なる存在が「語る」ものを意味する。本書における「物」は「死者」にほかならない。
著者は、死者のありようを「身近な霊」と「未知の霊」に一応、区分する。生者は前者には親しみを感じるが、後者と向き合ったときは著しい恐怖を感じ、宗教者などの助力を仰がなくてはならない場合がある。
だがこの分類に留まっていたら、本書は凡庸な研究書に過ぎなかった。著者たちはその壁を超えて行く。人々が次第に「未知の霊」を「『身近な霊』に準じるものとして大切に扱う」ようになっていく様子を見過ごさない。
死者は最初、単数として経験される。だが、それは生者同士がつながっているように、死者もまた、分かちがたい複数として認識されていくのである。
たかはしはら/1969年生まれ。東北大学大学院文学研究科教授。研究分野は死生学、実践宗教学等。ほりえのりちか/1969年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。研究分野は死生学、スピリチュアリティ研究等。
わかまつえいすけ/1968年、新潟県生まれ。批評家。著書『小林秀雄 美しい花』で角川財団学芸賞、蓮如賞受賞。