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「母」なるカトリーナが命を奪い尽くす…貧しい黒人一家を巨大ハリケーンが襲うまでの「12日間」

大森静佳が『骨を引き上げろ』(ジェスミン・ウォード 著)を読む

2021/12/15
『骨を引き上げろ』(ジェスミン・ウォード 著/石川由美子 訳)作品社

 主人公のエシュは、アメリカ南部ミシシッピ州の架空の町ボア・ソバージュに暮らす15歳の少女。アルコール依存症の父のほか、ランドールとスキータという2人の兄とまだ幼い弟のジュニアがいる。黒人一家の暮らしは貧しく、お腹が空けば近所の森で野生のリスを撃ち落としてバーベキューにするし、ときには必要に迫られて裕福な白人の家へ泥棒に入ることもある。一日一日をぎりぎりのところで生きのびる一家を巨大ハリケーン・カトリーナが襲うまでの12日間の物語を、本作はリアリスティックかつ神話にも似た野太い迫力をもって描く。

 エシュは物語冒頭で、兄の友人マニーの子を身ごもっていることに気づくが、誰にもそれを打ち明けることができない。すでに母親を亡くし男ばかりの家で暮らす彼女は、人間ならざるさまざまなものから「母」を学んでゆく。

 その「母」の例は第一に、兄のスキータが闘犬のために飼っている犬のチャイナだ。チャイナはときに獰猛で、出産後の昂ぶりのさなか自分の産んだ子犬を噛み殺す。チャイナをめぐり、エシュを本気で愛してなどいないマニーがこんなふうに吐き捨てる場面がある。

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「子犬を産めばどんな犬も弱くなる。(中略)雌であることの代価さ」

 ところがマニーの予想とは反対に、母犬チャイナは物語後半の闘いで血まみれのファイトを勝ち残る。

 もうひとりの「母」は、エシュが憧れるギリシア神話の女神メディア。人間の英雄イアソンへの愛ゆえに自分の弟を殺したメディアは、やがて夫イアソンの裏切りにあい、ついにはわが子をも殺めてしまう。

 優しいだけの綺麗ごとでは済まない「母」のありようとして、チャイナとメディア、そして物語終盤で訪れるハリケーン・カトリーナ、この三者がなまなましく重なってくる。

 2005年にアメリカ南部に襲来したハリケーン・カトリーナはアメリカ史上最悪レベルの災害で、死者約1900人、行方不明者700人以上の被害を出した。そんな禍々しいハリケーンに、カトリーナという女性の名前がついていること。カトリーナに象徴される自然は、私たちを生かし祝福する一方でときに災害によって理不尽に命を奪い尽くす。「母」なるカトリーナを生き残ったエシュは、お腹の子どもの母親になる決意をかためるのだが、その決意に到るまでの少女の心の揺れを、日常や風土の細部に宿る陰翳とともに描く筆致が凄まじく力強い。

「生きのびる」という言葉がますますリアルな響きを帯びている今、私たち一人一人の胸のなかで心細く息をひそめる「エシュ」に、この小説はひとすじの強靱な光を見せてくれるだろう。

 自身がハリケーン・カトリーナの被災者である著者ジェスミン・ウォードは、本書によって全米図書賞を受賞。フォークナーの再来との呼び声も高い。

Jesmyn Ward/ミシガン大学ファインアーツ修士課程修了。現在はルイジアナ州テュレーン大学創作科にて教鞭を執る。2011年に本書が、17年に『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』が全米図書賞を受賞。他の著書に『わたしたちが刈り取った男たち』など。
 

おおもりしずか/1989年、岡山県生まれ。歌人。歌集に『てのひらを燃やす』『カミーユ』、著書に『この世の息 歌人・河野裕子論』。

骨を引き上げろ

ジェスミン・ウォード ,石川由美子

作品社

2021年9月2日 発売

「母」なるカトリーナが命を奪い尽くす…貧しい黒人一家を巨大ハリケーンが襲うまでの「12日間」

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