文春オンライン

連載文春図書館 著者は語る

常連客たちはどこへでもついていく…「間借り営業」で各地を渡り歩く女性寿司職人が客に求められるワケ

著者は語る 『間借り鮨まさよ』(原宏一 著)

note
『間借り鮨まさよ』(原宏一 著)双葉社

 ディナーだけ営業しているレストランや、夕方には店を閉めてしまうカフェ。こういった営業時間の短い店舗の空き時間を利用して、他の飲食店を営業することを「間借り営業」という。別の場所で調理しておけば温めるだけで出せる「間借りカレー」が代表的だが、『間借り鮨まさよ』で提供されるのは「鮨」。店主の雅代は凄腕の女性鮨職人で、白木の付け台を軽トラの荷台に載せ、全国各地を渡り歩く。

 作家の原宏一さんが本作を書いたのは、ある出会いがきっかけだった。

「自分でも握るくらい鮨が好きで、お鮨屋さんにも、あちこち行っていました。銀座の『鮨竹』っていうお店が美味しいと聞いて食べに行ったら、握っていた鮨職人が女性だったんです。彼女が握るのは江戸前の、昔ながらのきちっと仕事をした鮨。店の雰囲気もとても居心地がよくて、その時、女性の鮨職人を書こうっていう発想が生まれました」

ADVERTISEMENT

 作品の舞台は、雅代が間借りした3つの店。東京・人形町のスペイン食堂、石川・金沢の繁華街にあるバー、そして千葉県富津市の漁師が集う食堂だ。そこにはそれぞれ「食」に関わる人々がいて、自らが進むべき道を見失っていた。

 一篇目の「バスクの誓い」に出てくる椋太もそうだ。彼は本格バスク料理の店を開店したが、コロナ禍で売り上げがダウン。緊急避難として、日本人好みの味のスペイン食堂に鞍替えした。しかし客は離れ、店を手伝っていた妻との関係も悪くなる。行き詰まりを感じる椋太だったが、雅代の仕事ぶりを見るうちに、自らの問題に思い至る。

「僕がほかにやっている『ヤッさん』シリーズは、宿無しだけど食の達人、という主人公で、ガンガン前に出ていくタイプだったんです。でも今回は周りの人がいつの間にか雅代に影響されている、という風になればいいなと思いました。人間って誰しも、失敗するものじゃないですか。問題はどう立ち直るかだと思うんですよ。失敗して意気消沈しているときに、説教くさい人が正論を言っても引いてしまう。誰かが寄り添ってくれることで、失敗の原因に自分で気がついて進んでいく、というのが一番良い形なんじゃないかと」

原宏一さん

 背中で語り、徐々に周囲の人を変えていく雅代は、「切りのいいところで、さっと移転するのが鮨まさよの流儀」と掲げ、ひと所には留まらない。だが、雅代の鮨を食べたい常連客たちはどこへでもついていく。そこにあるのは、店と客との強い信頼関係だ。

「鮨職人の方から、お客さん一人一人に合わせて握っている、という話を聞いたことがあって。何度も来てもらって、好みが分かれば分かるほど、その人に合わせて握れるようになるって言うんですよ。お客さんをよく見て、好みに合わせて作るっていうのが料理のコミュニケーション。それを続けていかない限り、本当に美味しいものは食べられないと思うんです。結局、お母さんの料理が一番美味しいっていうのは、そこなんですよね。生まれたときからずっと知ってるわけですから」

 作中で繰り返し強調されるのも、客を観察し、その人の身になって考えることの大切さだ。雅代は「料理には作る人の心が映っちゃうの」と語る。

「このお客さんはどうしたら喜んでくれるかっていうのが肌で分かるようにならないと、美味しい料理って絶対作れないと思う。味って、やっぱり作る人の人柄も含めて味なんですよね。雅代は、僕にとってひとつの理想の料理人の姿です」

はらこういち/1954年、長野県生まれ。茨城県育ち。97年『かつどん協議会』でデビュー。2001年に文庫化された『床下仙人』が、書店員の熱烈な支持でベストセラーに。他の著書に「ヤッさん」シリーズ、『閉店屋五郎』『星をつける女』『うたかた姫』など。

間借り鮨まさよ

間借り鮨まさよ

原 宏一

双葉社

2023年1月19日 発売

常連客たちはどこへでもついていく…「間借り営業」で各地を渡り歩く女性寿司職人が客に求められるワケ

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

週刊文春をフォロー