それぞれの筒美京平「先生」の思い出
――『グループサウンズ』と『90’s ナインティーズ』に共通して登場するのが作曲家の筒美京平さんと弟の音楽プロデューサー・ディレクターの渡辺忠孝さんです。
近田 俺は京平さんよりも弟の忠孝さんのほうが昔からよく知っているんです。
西寺 近田さんの前の本『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』では忠孝さんと対談もされていますね。
近田 あの人、ロックの人だったからね。
西寺 忠孝さんは『90’s ナインティーズ』にも登場してもらってるんです。僕らがインディーズでやり始めた頃にディレクターとして「メジャーにおいでよ」と誘ってくれた恩人で。ほんとうに話も合って。
近田 R&B系とか郷太君とはすごく話が合うと思うわ。
西寺 京平さんが若い僕のことを「すごくかわいらしい」って言ってくれていたと忠孝さんからずっと聞いていたんです(笑)。音楽性ももちろん大きな影響を受けてリンクしていましたし、研究好きな性格も伝わっていたみたいで。
もちろん僕の曲も京平さんは聴いてくれて、しばらくは忠孝さんからアドバイスを聞いていて。最初デビューしたワーナーには結局5年いたんですけど、4年目ぐらいに本腰を入れてヒット・シングルを作りたいという切羽詰まったタイミングで京平さんに会わせていただいたんです。あの兄弟、かわいかったり面白い男の子が好きじゃないですか。
近田 わかる、わかる(笑)。
西寺 その流れで京平さんと実際にお会いしてから丸2年ぐらい、作曲の手ほどきを受けて。バンド全体で仲良くさせていただきました。
近田 郷太君の本を読むと、けっこう中身濃かったようだもんね。
「京平先生には1回も怖い目に遭ったことないのよ」
西寺 近田さんほどではないですが、僕の世代では珍しい関わり方だったかもしれません。京平さんのご自宅で、1対1で一緒に曲を作ったりもしていたんです。ワーナーを離れた後、2007年に近藤真彦さんがシングルを作るときに、京平さんの曲に僕の歌詞っていうことになって、「情熱ナミダ」という曲で共作させてもらいました。CHOKKAKUさんがアレンジで。個人的に最初にレコードを買ったマッチさんの曲で共作というのも光栄で。もしかすると、京平さんも「郷太君ならいいよ」って言ってくれたのかなと思うと、しみじみうれしかったですね。
近田 いや、だからさ。俺も郷太君とまったく同じでさ、京平先生には1回も怖い目に遭ったことないのよ。いつも「近田君いいんじゃない、それで」っていう(笑)。逆に相手にされてなかったんじゃないかなと思って。
西寺 その逆で、若い近田さんから何かを学ぼう、刺激をもらおうと京平さんは思われていたと思いますよ。頂点を極めつつ、吸収力も半端ない人じゃないですか。
近田 この間もたまたま鷺巣詩郎君から怖い話を聞いたのよ。何かの曲で、京平さんが鷺巣君に「16分音符で作って」とアレンジを頼んだわけ。それを鷺巣君がやっぱエイトじゃないかなと思って勝手にエイトにしてスタジオに行ったら、京平さんが急にやたら不機嫌になって。結局全部その場で書き直させられたんだって。ほんとに大変だったみたいよ。
鷺巣君の話では、京平さんはアシスタントに厳しすぎて、アシスタントが「先生、私は先生の奴隷ですか?」と問うたら、言下に「そうよ!」と返答されて、返す言葉が無かった、と(笑)。そういう京平先生の怖いところは俺にはほんとになかったんですよ。