アメリカの「正義」に同調していいのか
東 いま、世界では「正義の原理」と「平和の原理」がぶつかり合っています。この点については、早稲田大学の古谷修一教授が朝日新聞のインタビューで語っていて、非常に刺激的でした。
どういうことかというと、ウクライナ戦争では、これまでの戦争と違って、人権意識が前面に出るようになった。無辜の民たちの人権を侵害するプーチンの「悪」と、それを許さない「正義」。こうした図式になったために、お互いが妥協して成立する「平和」が実現しにくくなっている、という指摘です。
先崎 ウクライナのゼレンスキー大統領は、プーチンに対する「正義」を錦の御旗にして、国際社会にアピールしましたね。右向けば右、となりがちな日本の世論は、アメリカに完全に同調して、その正義を「絶対善」とみなしている。しかし、それで本当に良いのでしょうか。
東 民主主義という言葉を、アメリカの特殊性から引き剥がす必要があると思います。最近、トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』を読み返したら興味深いことを言っていたんですよ。
先崎 19世紀フランスの政治学者トクヴィルの歴史的名著ですね。
東 この本でトクヴィルは、民主化を世界が進むべき道と位置づけながらも、アメリカの特殊な条件を繰り返し強調しています。
なぜ、アメリカで民主主義が発達したのか。トクヴィルによれば、その理由はまず、ヨーロッパと遠く海で隔てられているという地政学的な条件にあります。
ヨーロッパのように小さな主権国家がひしめきあう地域では、外敵からの攻撃に備えるために集権的な政治体制が必要とされる。そうでないと、いざ攻められたときに迅速に対応できませんし、軍をコントロールできなくなる危険性もある。
一方のアメリカには、敵となりうる国が近くにいませんでした。だからこそ、意思決定に時間がかかる民主主義も成立したというのです。
先崎 なるほど。パンデミックでも、強権的な国とそうでない国で、明暗が分かれましたね。コロナの拡大が始まった当初、中国は国民に徹底した行動制限を強いたことで、世界で唯一、封じ込めに成功していました。欧米各国も強制的なロックダウンを行わざるをえなかったわけですが、こうした権力の発動は、ある意味で民主主義の自己否定に近い。