母の秘密を知ってしばらくカメラを持てなかった——。ジャーナリストの成田陽子氏による「スピルバーグが語るスピルバーグ」(「文藝春秋」2023年4月号)を一部転載します。

◆◆◆

「フェイブルマンズ」で描いているのは、僕の記憶なんだ

「映画監督が作品を撮る時は、たとえ他人の脚本で、自分は撮影をしたり俳優に指示を出したりするだけであっても、その監督自身の人生が否応なくフィルム上に零れ落ちてしまう。これは自分の意思とは関係なく、どの監督にも起こること。しかし『フェイブルマンズ』で描いているのは、僕の記憶なんだ」

 スティーヴン・スピルバーグ監督最新作の『フェイブルマンズ』(全国公開中)が、今年のアカデミー賞主要7部門でノミネートされている。50年にわたるキャリアのなかで、スピルバーグが初めて挑戦した自伝的作品だ。1人の映画少年がハリウッドの世界に足を踏み入れるまでの成長の軌跡を描く。

ADVERTISEMENT

映画『フェイブルマンズ』 ©Storyteller Distribution Co., LLC. All Rights Reserved.

 主人公フェイブルマンの姓は、ドイツ語で「寓話」を意味する「ファーベル」が由来。原題『The Fabelmans』を直訳すると、「おとぎ話家族」となる。このタイトルは、スピルバーグ自身の名前から着想を得ている。「スピル」の意味はドイツ語で「ゲーム、娯楽」、そしてバーグは「山」。「娯楽の山」と、世界のエンターテイメントの巨匠にふさわしい名前の持ち主だ。『フェイブルマンズ』は、『ザ・スピルバーグズ』という題名の代わりだという。

 私はハリウッド外国人映画記者協会に在籍し、スターたちを取材して約40年になる。これまで本誌では、クリント・イーストウッド(2014年9月号)、ロバート・デ・ニーロ(2017年5月号)、ロバート・レッドフォード(2018年11月号)といった名優のインタビューをお届けしてきた。

 初めて私がスピルバーグにインタビューしたのは1985年のこと。映画『カラーパープル』の取材だった。

 当時38歳だが、年齢にそぐわないボーイッシュな声と記者に対する気遣いが強く印象に残っている。

 同作は、1900年代初頭、アメリカ南部で黒人女性姉妹が貧困や人種差別、性差別に苦しみながらも懸命に生きていく様を描いたヒューマンドラマだ。主演のウーピー・ゴールドバーグは本作で映画デビューを果たしている。

「常にチャレンジするのが監督としての僕の使命だと信じているから全く未知のジャンルを試みたんだ」

 スピルバーグはすでに娯楽映画のチャンピオンとしてトップの座に君臨していた。1975年に『ジョーズ』で海水浴人口を激減させ、『インディ・ジョーンズ』2作(1981、84)が大ヒット。そして『E.T.』(1982)では全世界の子供を魅了していた。プライベートでは、女優エイミー・アーヴィングと最初の結婚をしたばかりだった。

 1985年当時、まだ人種差別が色濃いハリウッドでは、黒人が主演をつとめることはほとんどなかった。映画の大ヒットという成功、そしてプライベートで幸せに包まれていたからこそ、スピルバーグはリスキーな作品にもチャレンジできたのだろう。