とりたてて目立つものもなく、ただ空間のみが描かれている本作。でもこの絵を前にすると、きっとじっと眺めてしまうはず。なぜならこの絵には、視線を掴む構図上の工夫がいくつも凝らされているからです。
描いたのは17世紀オランダで活躍したサミュエル・ファン・ホーホストラーテン。レンブラントに師事し、主に故郷のドルドレヒトで活動しました。遠近法を駆使した騙し絵的な表現が得意で、この絵も、戸口に立って深い奥行のある室内を見ている錯覚を鑑賞者に与えます。
構図の秘密は3つあります。まず、フレーム・イン・フレームという画面の中に枠を設け、視線を囲い込む手法です。本作では、手前の部屋の廊下に通じる扉と廊下の奥の部屋の扉の枠がぴったり重なるポイントを選ぶことで、奥の部屋が見どころなのだと強調されています。
次に、手前の部屋が、つまり画面外周が暗く、廊下の床と奥の部屋の壁が明るいため、自然と明るい方へと視線が導かれます。奥の部屋の、棚にかけられた布と椅子の色を輝くような黄色で統一してあるのも、視線を集めるのに効果的です。
3つ目は、床の敷石が作る流れが、まるで画面奥に向かう矢印を描いたかのようになっていること。どうぞこちらにお進みくださいと視線を導いてくれるので、思わず引き込まれて当然なのです。
また、縦長の画面を生かし、ドア枠、帚、布、カギ、ロウソク立て、絵、棚、椅子といった縦長のアイテムを配置することで、形の反復が造形的なリズムを刻んでいます。
一方で、この縦長のリズムから外れたものは目立ちます。それが、明るい廊下に乱雑に脱ぎ捨てられ横向きになった部屋履き、奥の部屋の棚の上に置かれた表紙が少しめくれた本、そして少し傾いた火の消えたロウソクです。
これがどういう状況なのかは、奥の部屋に掛けられた画中画が仄めかしています。当時オランダで大人気だったテル・ボルフ作「雅な会話」に基づくバリエーションで、いわゆる娼館での場面を描いたものと解釈されています。
つまり、本作の細部に仕込まれたヒントから、この家の女性は部屋履きを脱ぎ捨て、読書を途中でやめてしまうような、慌ただしく色っぽい状況にあるのだろう、と読み取れる仕掛けなのです。そうなると、シルエットにくっきり浮かぶ挿さったままのカギや、立てかけられた帚も、意味深に見えてきます。
このように、構図に絵解きのヒントが絡めてあり、さらに覗き見の欲求もくすぐり、エロティシズムも漂わせるというサービス精神が詰まった絵なのです。
本作の空間構成の面白さは他の画家たちが真似したくなるものだったようで、同時代のオランダの画家デ・ホーホの「男と女とオウム」や、あのフェルメールの「恋文」にも影響の跡が見られます。追随者の作品の物語が明示的なのに対し、ホーホストラーテンは生活の気配だけを示す暗示的な表現を選びました。
INFORMATION
「ルーヴル美術館展 愛を描く」
国立新美術館にて6月12日まで
https://www.nact.jp/exhibition_special/2023/love_louvre/