母子ともに治療ができる東大病院へ転院
――そして母子ともにそのままでは危険ということで、帝王切開手術に踏み切ったと。
中本 出産予定日は9月上旬だったんですけど、7月7日に帝王切開をしました。日医大でも帝王切開はできるけど、まだ小さい状態の子供を取り出すので、どういう状態なのかわからない。だから、すぐに子供をNICU(新生児集中治療室)に入れられて、母親の処置もできる病院に移したほうがいいと。
日医大って、日本における救命救急の最高峰なんですよ。そこの救命救急の先生からそう言われたので、「そうしてください」って。子供と母親、両方の緊急対応ができるのが、日本赤十字社医療センターか東京大学医学部附属病院で、日医大から1kmほどの東大病院に移ったんです。
――ただでさえ出産は命懸けですけど、心筋炎に早産でさらに気が気ではないですよね。
中本 東大病院に移って、その晩に帝王切開手術ですからね。ずっと待合室にいたけど、ほんと2日くらいはなにも食べられなかったですね。僕は食いしん坊で、どんなに忙しくて緊迫した状況でも、食べることだけは欠かさないんですけど。それくらい気が気じゃなかったというか、“なにも喉を通らない”ってこういうことなんだなって。
ICUの中でもお医者さんが常駐する場所の隣で治療
――帝王切開の手術は終わっても、母はICU、子供はNICUに運ばれて、予断を許さない状況といいますか。
中本 生まれた日の晩、小児科の先生に呼び出されまして。「7ヶ月で赤ちゃんを取り出す危険性を知っていますか」と言われて膨大な書類にサインをしました。「あらゆる手を尽くしますが、こういった障害が出る可能性があります」みたいなことが書かれた書類に次々とサインしながら、成長しても活発に運動ができない、なにかしらの病気に感染しやすくなる可能性があるといった説明もされて。まぁ、それで父親の自覚を促されもしましたね。
でも、妻のほうが深刻で重篤でした。東大のICUって広いんですけど、そのなかでもお医者さんが常駐する場所の隣に妻は運ばれて。ほんと、生死をさまよう人が置かれる場所といいますか。
心筋炎のウイルスを叩く薬がないので手の施しようがなく、対症療法するしかなくて。先生には「命は取り留めているけど、これから良くなるか悪くなるかはわからない」と言われました。
いま振り返ると自分でもゾッとするけど、そのときは「せめて家内だけでも命が助かってくれ」と思いましたね。
撮影=原田達夫/文藝春秋
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