56歳で初めての子供に恵まれ、出産と育児に奮闘した日々を綴った著書『56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました 生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記』(ワニ・プラス)を上梓した、夕刊フジ編集長・中本裕己氏(59)。

 そんな中本氏に、高齢出産ゆえにシミュレーションできなかった保険、今後の就労や健康にまつわる不安、56歳で父となったことで変化した価値観などについて、話を聞いた。(全2回の2回目/1回目から続く)

56歳で初めて父になった夕刊フジ編集長の中本裕己さん ©原田達夫/文藝春秋

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子どもが生まれ、ブリーフケース派からリュック派に

――出生届は子供が生まれて14日以内に提出しないといけませんが、中本さんのパートナーは出産から16日間入院されていました。この間に、ひとりで出生届を準備したり、お子さんとパートナーのいる病院に行ったり、仕事もされたりと、なかなか大変だったのではないかと。

中本裕己さん(以下、中本) 20代、30代の頃は、事件を取材するとなると、1日でいろんなとこを回らなきゃいけなかったんですよ。そんな感じで、火事場の馬鹿力みたいなものが出ました。病院に行かなきゃいけないけど、出生届を筆頭に役所関係をやらないといけないし、制度でもらえるお金は申請して全部もらいたいし。そういうこと考えて集中的に当たっていくのは、まさに取材ですよね。

 今日背負ってきたリュックって、僕が妻にクリスマス・プレゼントかなにかであげたものなんです。講師の仕事で、いろいろ資料を持ち運びするのに便利だろうって。

中本さんが使用しているリュック

 だけど、僕が病院、役所、家を行ったり来たりするなかで、このリュックを使ってみたらとても楽で。書類をパンパンになるぐらいに詰め込んで、役所は「あの書類がいる、この書類がいる」ってなるから、ファイリングをしてなにかあってもサッと出せるようにしていました。

――それまでリュックを使うことは。

中本 ブリーフケース派だったんですけど、リュックじゃないとどうしようもないなって。頑丈で、乱暴に扱ってもヘタりませんしね。遅かれ早かれ、リュック派に転じるだろうなとは思っていました。ブリーフケースじゃ両手が空かないし、哺乳瓶やオムツは入りませんからね。

自分がオムツを換えたりする姿は全く想像できていなかった

――お子さんは7月7日に誕生し、9月27日に退院されます。誕生時の体重が1203グラムだったそうですが、退院したときも体は小さかったですか?

中本 めちゃくちゃ小さかったです。「まだこんな小さいのに家に帰されるのか」と思いましたから。

退院時の親子スリーショット(本人提供)

――ベビー服のサイズで苦労したのではないかと。

中本 妻が買っておいたベビー服はどれもブカブカでしたね。あとオムツのサイズがなかった。うちの子のサイズは4Sなんだけど、普通の店では売ってないから最初のうちは東大病院の売店で買ってました。だんだん体も大きくなって、普通のサイズを通販で買うようになりましたけど。