――「子供に戻った感覚」に加えて、「自分の親もこんな思いで子育てしていたのか」とも思いますよね。
中本 自分の親に感謝する気持ちが、やっとこの歳になって生まれますね。僕の親父は、僕が19歳のときに52歳で亡くなったんですけど、頑固でカミナリ親父で怖いイメージしかなくて。
でも、僕が小さかった頃に親子で祭りに行って撮った写真なんかを見ると、怖かったはずの親父がニコニコしながら僕と一緒に写っているんですよ。親父は僕のことを大事にしてたんだろうなって。その恩を返しようにも早くに亡くなってしまったので、親父の代わりに子供に返すしかないなって考えています。
どんなことがあっても、長い人生から見れば「たかが、これしきのことで」って感じ
――お子さんとの年齢差が56歳って、やはり凄いことですよね。
中本 そうですね。これだけ離れちゃってると、逆にギャップが興味になるというか。新鮮に感じすぎちゃって、一緒に子供番組を食い入るように見たりしますね。さっきも話しましたけど、自分も小さな子供になったような感じでいろいろと楽しめるんですよ。
――そうしたお話を聞くと、56歳という余裕をもって子育てができていそうですね。
中本 慌てない余裕というよりは、くよくよしない余裕はありますね。まだ子供は小さいので、癇癪を起こしたり、ダダをこねたりすることがあって、こっちもさすがに叱らざるをえない場面があるんです。そこではピリピリしますけど、しばらくしたら家族3人で笑い合っている、みたいな。どんなことがあっても、長い人生から見れば「たかが、これしきのことで」って感じですよね。
家で仕事しているときに子供に邪魔されると、やっぱりイライラはしますけど「子育てに比べたら、仕事なんて」となる。これが、もしも20代、30代だったら、そう思えたのかなって。
子育ては今後を生きていくうえでの支え
――19歳のときにお父様を失くしたけど、どうにかこうにか生きてこられたと本に書かれています。その経験が、今後も続く子育てを続けるうえでのバックボーンや原動力になっているのでは?
中本 僕自身はそうだけど、それを息子に押しつけるわけにはいかないし、そんな苦労はさせたくないですね。僕のほうが先に死んでしまうわけなので、そのせいで息子に大変な思いをさせるとしても、ある程度までしっかり育てればがんばってくれるんじゃないか、という願望なんです。だから、息子の自我が目覚めるまではしっかりとサポートしてあげなきゃって。
とにかく、子供を育てるのが今後を生きていくうえでの支えになっていますね。
撮影=原田達夫/文藝春秋
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