山咲 2001年の10月か11月に女性マネージャーに「あんたが太田プロの稼働率ナンバー1よ」って言われました。
私のマネージャーさんたちってとても仲が良くて、私が本当に忙しかった時期には、雑誌の取材という形で嘘の仕事を入れて、3泊4日とかで近場のサイパンとかバリとかバンコクとかに一緒に連れて行ってくれたんです。
――そんなことがあったんですか!
山咲 社員さんから言い出したわけじゃないですよ。私が言い出しっぺなんです。私が「行かない?」って誘ったら、マネージャーさんが「いいわよ」って言ってくれて。あと14日働いて寝ればお休みがあるとか、そういうふうに考えて楽しみにしていました。
当時は「キワモノ」「ゲテモノ」扱い
――トオルさんは「オネエタレントの先駆け」と言われることもありますが、テレビの世界に入られた2001年頃って、オネエの方に対する世間の意識も今とは違いますよね。
山咲 私がテレビに出た頃は「キワモノ」とか「ゲテモノ枠」だったんですよ。ちょっと気持ち悪いと言われてなんぼだったな、という。オネエという言い方もなくて、私は自分からあえて男大好きって言うこともないんだけど、テレビを見ている人は言わなくてもわかるでしょう、っていうスタンスだったんですね。
――そう思ってもらっても別にいいですよ、という。
山咲 でも、番組さんによっては「女性を好きです、と言ってくれませんか?」と言われることがありまして、それを言ってしまったことが何度かあって、すごく罪悪感として負担になるわけですよ。嘘をついたっていうのが。些細なことだと思うんですけど、それが意外と大きかったです。
――スタッフの方はどういう意図でそれを求めていたんでしょうか?
山咲 私が出ていた頃って、ペ・ヨンジュンさんとかが人気の時代だったんです。あんたはその枠だって言われることがあって、私自身は「何言っちゃってんの」って思ってたんですけど。奥様方をちょっと癒やすポジションというか。だからオカマとは言わないでほしいとか、当時のテレビ業界にはそういう感じがあったんですね。
――トオルさんがテレビに出るようになってから、マツコ・デラックスさん、IKKOさん、はるな愛さんとか、毒舌系のオネエタレントが続々と出てきて、ちょっとしたブームになったじゃないですか。そのときはどういうことを思われていたんですか?