TBSのアナウンサーとして『モーニングEye』『筑紫哲也 NEWS23』などに出演してきた渡辺真理氏(55)。1998年にフリーランスとなって『ニュースステーション』を担当するなか、父・半三氏が脳内出血に。20年以上にわたって、仕事をしながら父の介護にあたり、要介護となった母・美智子氏も支えてきた。
2014年に父を、そして昨年10月に母を看取ったばかりだという渡辺氏。そんな彼女に、前触れもなく家族が病に倒れて抱いた心境、仕事と介護を両立してきた日々、そのなかで迫られた数々の決断について、話を聞いた。
母は90歳で眠るように旅立った
ーー昨年お母様を看取ったばかりのタイミングで、取材を受けてくださってありがとうございます。
渡辺真理(以下、渡辺) これまでも親のことが記事になるたびに、「大変ですね。大丈夫?」とか「お母様のご様子はいかが?」と多くの方々が気にかけてくださって、ありがたく思っていました。なので、母の逝去をどんなタイミングでお伝えすべきなのかと思案していたところだったんです。
そんなときに今回のお話をいただいて。母からの感謝も込めて、娘として「ほんとうにありがとうございました」という想いでお話しできればと思っています。
ーーお母様は、おいくつでお亡くなりになったのでしょう?
渡辺 90歳まで頑張ってくれました。最期まで診てくださった主治医の先生の診断は「老衰」でした。父が療養していた16年の間に母の要介護度も少しずつ進んだのですが、仲のよかった父の死がこたえたようです。その直後に腰椎と胸椎を圧迫骨折してからは、なかなかベッドから起き上がれなくなっていました。
ずっと母のかかりつけ医だったその先生には、私も赤ちゃんの頃から診ていただいているのですが、どことなくイギリスの老紳士のような雰囲気で地元では“赤ひげ先生”のように慕われている85歳の内科医なんです。その先生から、すこし前に「心臓が弱ってきています」と静かに告げられていました。
毎晩、寝る前に母の部屋に行くのですけれど、足が冷たくなっているとは感じていたんです。心臓が弱ると、血液を全身に送り出すポンプの力が弱くなって、足など末端に血が通いにくくなるんですよね。
そんななかで10月のある日、母の呼吸が浅くなったので、父もお世話になった24時間対応の看護師さんに来ていただいて。看護師さんに「吸引したほうがいいですか」と聞いたら、聴診器を当てて「大丈夫です」と穏やかにおっしゃったので、その反応を見てなんとなく覚悟をしました。
2階にいた夫もすぐに降りてきて。母とは、とても仲よしだったんです。夫が母の右手を、私が左手を握って「ママ、大丈夫?」と聞いたら「ふぅ~」と小さく一息ついて、そのあと眠るみたいにスゥーッと。