TBSのアナウンサーとして『モーニングEye』『筑紫哲也 NEWS23』などに出演してきた渡辺真理氏(55)。1998年にフリーランスとなって『ニュースステーション』を担当するなか、父・半三氏が脳内出血に。
20年以上にわたって、仕事をしながら父の介護にあたり、要介護となった母・美智子氏も支えてきた。
そんな彼女に、2000年の介護保険制度スタート時に介護を始めたことで生じた混乱、“経済的余裕があるから介護ができる”という声に対する想い、夫との出会いなどについて、話を聞いた。
要介護5だった父との生活
ーーお父様が入院から自宅での療養に移った際、要介護のレベルは5だったとのこと。状態をお聞かせください。
渡辺真理(以下、渡辺) 自分では動けない状態だったので、午前中に訪問してくれるヘルパーさんにベッドから車椅子に移していただいて、晴れていたら縁側で日なたぼっこして、午後のヘルパーさんにベッドに戻していただくといった日常でした。ずっと横になっている体勢より数時間でも座る方が身体にいいので。
気管切開しても声帯はあったので、発声の練習をすれば話すことはできたかもしれないのですけど、リハビリとかコツコツ努力するのが苦手な父で。
横浜商人で会社勤めをしたことがなく、マイペースで自由なものだから、母と私がそばにいるならそれでいいと思っていたふしはありました。痛みや苦痛なく気持ちよさそうにベッドで眠ってくれる療養生活だったのは、ありがたかったです。
ーーお父様と意思疎通は図れていたのですか?
渡辺 図れていたと思います。私が話しかけると、こうべをめぐらしてくれて。倒れる前、白内障の手術を受けようかと相談するほど視力は落ちていたのですけれど、母や私の声には最期まで反応してくれました。
ただ、「寒くない?」と聞くとうなずくけれど、それは家族だからうなずいているとわかる感じかも。父が本当に理解していたかどうかの確証は持てないです。
そういえば、母が外で転んだことがあったんです。鼻を擦りむいただけですんだからよかったのですけど、夫と私が「気をつけようね」と母に話してる横で、父がものすごい勢いで咳き込んで。そんなふうに咳き込むことはなかったんですよね。そしたら夫が「パパ、心配してるんじゃない? 言葉で言えない分、ママのことが心配で、よろしくって僕らに言ってるんだと思う」と。
意識がわりとはっきりしている時と、ぐっすり長時間眠ってしまう時、意識があっても睡眠との境界線をまたいでは戻るような感じと、夢とうつつを行ったり来たりしている様子でした。