文春オンライン

2023/03/18

 大黒柱としてひとりで商売をしてきた父は、「真理は教えなくても大丈夫」となぜか楽観していて、仕事まわりの引き継ぎはなかったんです。私がアナウンサーの本業で忙しかった分、気遣ってくれたのでしょうけれど。 

 だから、会社や家の書類を入れた金庫の開け方もわからなくて、開錠業者さんを調べるところから始めました。 

ーー不安を抱く余裕もない。

渡辺 大きな雲のような不安は常に頭のなかに張りついてます。「どうしよう、大丈夫かな?」と。ただ、非常時だと選択の連続で、状況を改善するよう一つ一つ選んでいくしかないので、「落ち着け、私」と思いながら、悩んでいる暇はない感覚でした。

TV局→自宅→病院→実家→TV局…めまぐるしい日々

ーーお父様が入院された1998年は、渡辺さんがTBSを退社してフリーランスになった年でもあります。同年5月から『ニュースステーション』(テレビ朝日、1998~2004年)のサブキャスターを務めていただけに、スケジュール的にも忙しかったのではないかと。 

渡辺 忙しさが、気持ちをまぎらわせてくれた面はあったかもしれません。番組に就いて半年、もうシフトは固まっていたので、その通りに動くリズムにも助けられたと思います。

 

 夕方、局に入って会議の後、夕飯を済ませて打ち合わせなどしてメイクと着替え、放送が0時過ぎに終わると『ニュースステーション』の反省会は15分ぐらいだったので、0時半には自分で車を運転して帰路についていました。 

ーー家に帰ってから、またいろいろと? 

渡辺 都内に借りていたワンルームで翌日の午前中まで休んでから、父の病院に向かっていました。といってもオンエア後はすぐに眠れないので、3時くらいまで次の日の資料を見たり、発泡酒を飲みながらパソコンで作業をしたり、ゴソゴソと。一日のなかでボーッとできるいい時間でもありました。 

 翌日、母のお弁当を持って車で病院に行って、両親と病院で過ごしながら、必要があれば先生や看護師さんからのお話をうかがって。洗濯物がある時は実家で洗濯機を回してから、夕方までに局に入るというサイクルでした。リズムができるまでは戸惑ったりしますけど、だんだん日常になっていけば回っていくものなんですよね。 

ーーフリーランスだからこそ、やれたという面は? 

渡辺 フリーランスを目指したわけでもなかったのに、本当にラッキーでした。社員だったら、まず自走は難しいですよね。会社に通うのも、病院や父の仕事関係を回ったり、実家に寄るのも、最短距離、最短時間で動きたかったので、車が必要でした。ひとりで運転してると気分転換にもなりますし。