ーー床に倒れていたのですか。
渡辺 ベッドに横になっていました。部屋を見まわしたら、ドアにはめ込まれたガラスが割れているのに気づいて、そこで倒れてベッドまで行ったのじゃないかと不安になったんです。「パパ、大丈夫?」と声を掛けたら「らうじょうぶ」とろれつが回っていなくて。
「これは脳かも」と思って、さきほどもお話しした主治医の先生に電話で指示を仰いで、救急車を呼びました。
当直の脳外科医が不在で3つの病院をまわったあと、新横浜のそばの脳外科専門の病院に受け入れてもらえて、小脳の脳内出血を起こしているとわかりました。倒れてから数時間は経っていたので出血は広がっていたようですが、そこの院長先生が「手術できるかできないかのギリギリですが、手術してみましょう」と決断してくださって。
ーーでは、手術は長時間におよぶものに?
渡辺 ひと晩かかりました。母と待っていた病院の廊下の薄暗さとか、長椅子の硬さとか、覚えています。明け方に手術が終わって、院長先生が「一命をとりとめた」と。翌日には「ご夫妻でお散歩できるぐらいになったらいいですね」と言っていただけたのですが、手術から3日ほどして誤嚥性肺炎になってしまったんです。
手術によって脳が腫れて、だんだんと意識が混濁してくると、弁にあたる喉頭蓋がちゃんと作用しなくなって、嚥下が困難に。気管に唾液が入っただけでも誤嚥性肺炎になる可能性はあるので、避けるのは難しいとのことでした。
さらなる誤嚥を防止するために気管切開をしたため会話はできなかったけれど、ありがたいことに肺炎からは回復できました。落ち着いてくると「家に帰りたい」とジェスチャーをする父に対して、母も私も帰らせてあげたいけれど、まだまだそんな状態じゃなく、「頑張ろうね!」と励まし続けるしかなかったです。
母も父と離れたくないと言うので、看護師さんにご相談したら「簡易ベッドでもよければ」と受け入れてくださいました。そのおかげで、母はずっと父の病室に泊まることができました。
ーー入院も長期間に?
渡辺 脳外科病院には半年間入院しました。その後、リハビリのある総合病院へ移って1年間、合計1年半の入院生活でした。
「どうしよう」という雲が頭の中にずっとある
ーーお父様の手術、入院、そして誤嚥性肺炎に気管切開と、短い間に次々と大変なことが起きましたが、当時の心境というのは?
渡辺 ショックだし、動揺はします。けれど、それ以上に今やらないといけないことに追われるのが実際のところで。まずは、父を助けたい、父が急逝したら母の辛さは計り知れず。同時に、父の仕事関係や家計も考えないといけない状況でもありました。