ーー周囲の協力や理解もありましたか。
渡辺 感謝しかないです。久米(宏)さんとプロデューサーだけにお話しして、オンエア中はなにがあっても抜けないけれど、父の容態によっては番組に連絡が入る可能性があることはお伝えしました。
スタッフには余計な心配をかけたくなかったのですが、入院が長かった分、察していただいていた空気はあったので、今も感謝しかないです。
「私が責任を取るので」家で看るという決断
ーー脳外科で半年、総合病院で1年の入院を経て、自宅でお父様の介護を始められるわけですよね。この退院などの判断は、病院側によるものですか?
渡辺 母が「帰らせてあげたい」と決断して、先生にお願いしました。帰るにあたっては切開した気管を閉じる必要があるため、先生からは「閉じると誤嚥する可能性がありますが」と、リスクは告げられました。
母は、実家が代々医師の家系ということもあって、命に対して肝が座ってる面もあるんです。懸念される先生方に対して、「私が責任を取るので閉じてください」とお願いして、家で療養生活をすることを選びました。
ーー重い決断ですね。
渡辺 ただ、母が言い出さなかったら、父は帰れなかったと思うので。バイタル、つまり体や生命維持を考えると病院の方がリスクは低いけれど、父の気持ちを思うと帰してあげたい。また、病床の数の問題からも、改善の余地のある患者さんでないなら特養やホームに移ることをいずれ考えないといけないですから。
先生のおっしゃるリスクは当然の警告でしたけれど、父のことを想う母の気持ちを尊重したかった。また、肺炎になる前、まだ体力があった頃にベッドの柵を乗り越えて家に帰ろうとした父の姿を私も忘れられなかったので。
結果として、父はそれから14年、大好きな自宅で穏やかに療養できたことを思うと、母の決断は大きなものでした。何が正解なのか、そもそも正解があるのかすら悩む局面は多いけれど、最終的に家族が決断することの大切さを、あの時の母の横顔に訓えられた気がします。
2000年、ちょうど介護保険制度がスタートした春に家へ帰ることになりました。
ーーお父様の要介護のレベルは?
渡辺 要介護5でした。
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