名門・ハーバード大卒という異色の経歴のお笑いタレント、パックンことパトリック・ハーランさん(52)。情報番組のコメンテーターや大学講師、舞台などマルチに活躍するパックンさんだが、実は「芸人一の倹約家」だという。近著『無理なく貯めて賢く増やす パックン式 お金の育て方』(朝日新聞出版)では、投資歴25年以上のベテラン投資家でもある彼の「パックン式・今日から始められる節約術や投資法」が綴られている。
そんなパックンさんに、経済的に厳しい家庭で育ったという生い立ちや、ハーバード大学に入るまでの過程などを聞いた。(全2回の1回目/2回目に続く)
◆◆◆
10歳から家計を助けるためにアルバイトを開始
——著書でも語られている幼少期の経験が、パックンさんのお金に対する価値観に大きく影響しているのだと感じました。改めて、どのような環境で育ったのでしょうか。
パトリック・ハーランさん(以下、パックン) 僕、母子家庭なんですよ。暗い話になるけど、7歳のときに両親が別居して、8歳で離婚して。それから数年、母が失業を繰り返していて、かなり家計は苦しかったと思います。日本でいう「生活保護」を受けて暮らしていた時期もありました。
だから僕は、早くから「自分の力で稼ぐ努力をしよう」と考えるようになって。10歳の誕生日の翌日から、新聞配達のアルバイトを始めました。
——10歳から!
パックン はい。それから大学に入学する18歳までの8年間、ほぼ毎日続けましたね。両親の離婚後は母と姉と3人で暮らしていたのですが、11歳のとき、父が姉を引き取ったことを口実に、養育費や慰謝料の支払いを一方的に止めてしまって。それによって、さらに生活が苦しくなったんですよ。
だから新聞配達以外にも、母の仕事の手伝いをしたり、雪かきや芝刈りをしたり。本当に色々な仕事をしました。
母から学んだ食費を最低限に抑える術
——家計を助けるために。
パックン そう。子どもながらに「僕がママを支えなきゃ」という思いがあったんです。でも結局は、家計は母が全てカバーしてくれていたので、僕自身はアルバイトで自分が遣うお金をまかなっていた感じかな。習い事や洋服代、友達と遊ぶお金とかね。母と連名で自分の口座を作って、必要な時に自分で払っていました。
——お母様と2人になってからは、どんな生活を?