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「これで、いいんだ」

 アーチー・“ムーンライト”・グラハム。1905年のニューヨーク・ジャイアンツでわずか一試合に出場しただけの無名の選手だった。物語の中では脇役の一人だったが、どうしてもその存在と彼の行動が頭から消えないのだ。

 グラハムはジャイアンツに入団して数カ月の頃、初めてマイナーからメジャーに呼ばれた。だが、なかなか出番のないままシーズン最終戦を迎えていた。リードした八回裏の守り、監督が突然、ベンチを温めていたグラハムを指さした。

「ライトへ!」

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 ついにその瞬間が来た。観衆のざわめき、ナイターの灯りに照らされた芝生の匂い、グラハムは憧れていたメジャーのフィールドに飛び出す。守備要員であろうが関係なかった。頭にはこれから始まるひとりの野球選手の輝かしい物語が描かれていた。

 だが、グラブを構えた彼のところへ打球は飛んでこなかった。次のイニングで打席も巡ってこなかった。一度もボールに触れることのないまま、バットを振ることさえないまま試合は終わり、数日後マイナー落ちを通告された。それきり二度とメジャーに呼ばれることはなかった。

 わずか1試合、2イニング出場の記録を残してグラハムはユニホームを脱いだ。その後、ミネソタ州で医師になった。87歳で閉じた彼の生涯は、野球選手としてより小さな街の名医として人々に記憶されていた。

 映画の終盤ではそのグラハムが若き日のユニホーム姿でキンセラのつくった球場にやってくる。一度でいいからメジャーの打席に立ってみたい。眩しいほどの青空の下、バットを掲げる。投手がモーションに入ったらウインクをする。打ってやるぞ、と合図を送る。それが夢なのだと彼はキンセラに語った。

 キンセラはとうもろこし畑に囲まれたスタジアムに彼を案内し、グラハムは現世では果たせなかった願いを叶えた。名選手たちとともに試合に出て、打席に立ち、投手にウインクした。そして打った。ほんの一瞬すれ違ったままになっていた夢をつかんだ。

 だが試合の途中、思わぬことが起こった。キンセラの娘がグラウンド脇の簡易スタンドから転落し、昏睡状態に陥ったのだ。幻の選手たちはそれを見て当惑した。一歩でもグラウンドから外に踏み出してしまえば、彼らはもう二度とプレーヤーとして夢のフィールドに立てなくなるからだった。

 すると、グラハムが一瞬のためらいの後、白線の外へと歩み出た。グラウンドから出た瞬間、小さな街の名医の姿に戻ったグラハムはキンセラの娘を助けた。夢のフィールドを去ることと引き換えの行動だった。

「これで、いいんだ」

 束の間の夢と訣別した彼は、キンセラにウインクすると、とうもろこし畑の中に消えていった。吉村の胸にはその場面が強く焼き付いていた。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。