新聞記者になった理由
だが、吉村は野球そのものからは離れなかった。失意の若者を惹きつけて止まないものがあったのだ。1970年代後半からフジテレビが放送した「大リーグアワー」であった。日本で初めてとなるメジャーリーグのレギュラー中継。ブラウン管の中には見たことのない景色があった。
そこは確かに球場なのだが、まるで違う世界のようだった。巨人戦の中継よりも吉村の心をとらえて離さなかった。視聴率が伸びなかったのか、放送は数年で終了した。そうなると当時の日本には大リーグの情報はほとんど入ってこなかったが、そのことがさらに憧憬を掻き立てた。吉村は大リーグの試合結果が掲載されている英字新聞「Sporting News」を取り寄せるようになった。
雑誌社が立ち上げた大リーグ友の会にも入会した。会員番号432番。雑誌の巻末にあった好事家の連絡先をたどって、メジャーリーグ通として知られるパンチョ伊東こと伊東一雄にも会いに行った。
「実際にメジャーリーグの球場に行って、自分の目で見なければ分からないことがたくさんあるんだよ」
当時、パシフィック・リーグ事務局に勤めていた伊東からはそう言われた。だから大学在学中に何度か旅に出た。アメリカを巡って13のスタジアムを訪れた。鮮やかな天然芝の色彩と匂い、各球場の個性的な形状とそれぞれの土地に吹く風が吉村を虜にした。とりわけデトロイトのタイガースタジアムが心に残った。スタジアムとともに生きていく。いつしか人生の道は決まっていた。新聞記者になったのも、プロ野球担当ならばスタジアムで仕事ができると考えたからだった。
「ある野球映画」との出会い
吉村はカレーの皿が空になる前に、大リーグ雑誌にはあらかた目を通した。いつもなら、それで休日のほとんどを終えたようなものだった。ただ、この日は他にもう一つ、大きな目当てがあった。あるアメリカ映画が封切られることになっていた。ケビン・コスナー主演のメジャーリーグにまつわる物語だという。
吉村は残りのカレーをかき込むと、交差点の向かいにある映画館に向かった。もぎりを通り、シアターの扉を開けると、まだ数人の客がいるだけだった。話題作とはいえ、平日昼の館内には席の余裕があるようだった。薄灯の中、ひんやりとしたシートに腰を下ろすとほどなくして照明が落ちた。闇の中に浮かび上がるスクリーン以外は何も見えなくなっていく。吉村は現実社会と隔絶した非日常の世界へと没入していった。
映画はセピア色の1枚の写真から始まった。主人公のレイ・キンセラが男手ひとつで育ててくれた父との思い出を語り出す――かつてマイナーリーグの野球選手だった父からは、おとぎ話の代わりにベーブ・ルースや“シューレス”・ジョー・ジャクソンのことなどを聞かされた。父はとりわけ、八百長疑惑で球界を永久追放処分になった名手ジャクソンのことが好きだった。
父は息子にグラブとバットを与え、自分の果たせなかった夢を託したが、キンセラはずっとそれを重荷に感じていた。やがて父を拒絶するようになった。ハイスクールを出ると故郷を離れ、父の死に目には会えなかった――主人公は父親と野球に対して後悔を抱いているようだった。