日本女子バレー界のレジェンド選手を多く輩出してきた名門・下北沢成徳高校。同校でコーチ時代から48年間、生徒たちを指導した小川良樹監督が今年度をもって監督業から勇退する。「長時間練習」「体罰」といった学校スポーツの悪しき伝統からどこよりも早く脱し、小手先の技術でない真っ向勝負のオープンバレーで高校三冠を達成した。
今回、「週刊文春」の特集企画で、小川良樹監督をはじめ、下北沢成徳OGの荒木絵里香、大山加奈、木村沙織、そして今春に下北沢成徳を旅立った“最後の教え子”が特別インタビューに登場。教え子たちが見た、唯一無二の恩師の姿とは――。誌面で掲載しきれなかったエピソードを紹介します。(全4回の3回目/#4へ続く)
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昨年10月、木村沙織は母校の下北沢成徳高を訪れた。
卒業から18年、今年度で恩師の小川良樹氏がバレーボール部の監督を勇退する。数多いOGに話を向ければ皆が皆「小川先生と出会わなければ自分の今はない」と前のめりであれもこれもと伝えようとする中、木村は少々例外だった。
「私、基本的に過去を振り返らないタイプじゃないですか。卒業したら旅立つ(笑)。だから(荒木)絵里香さんとか、(大山)加奈さんとか、みんなスラスラ『あの時あんなことがあった』って覚えているのがすごいなぁって思うんです」
確かに。これまでも木村の取材機会に数多く恵まれ、現役時代から現役を退いた今に至るまで、さまざまな話を聞いてきた。そしてその都度、笑いながらサラっと言ってのける。
「高校もオリンピックも、基本的には終わればそこで終わり。だから、昔のことを語るのも得意じゃないんです」
前置きはした。だが、それでも聞かねばならない。これまで聞いてきた話の中から高校時代のエピソードを1つ1つ紐解くと、楽しそうに「そうだった、そんなことありましたね」と手を叩いて笑いながら、当時を楽しそうに語る。
“スーパー女子高生”と呼ばれた下北沢成徳での3年間
小川氏曰く「小学生の頃から技術面ではずば抜けていた」という木村が、初めて脚光を浴びたのは2003年。その3年前に女子バレー日本代表は史上初めて五輪出場を逃し、次大会こそは絶対に落とせないという重圧がかかったワールドカップでコートに立った。抜群のバレーボールセンスで攻守に渡る存在感を発揮し、自身にとって初の五輪出場となった04年のアテネ大会以後、木村は日本代表のエースとして日本女子バレーボール界を背負い続けた。12年のロンドン五輪では28年ぶりの銅メダル獲得。準々決勝の中国戦は引退時に「最も印象深い試合」と語っていたが、それ以外にも幾多もの名勝負を繰り広げてきた。
「いつ辞めてもいいと思っていた」という言葉とは裏腹に、アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロと4度の五輪に出場。そんな大エースの原点は“スーパー女子高生”と呼ばれた下北沢成徳での3年間だった。