真っ向勝負のオープンバレーで世界と戦う日本のエースを育てたのは、勝利至上主義の数歩先を行く「高校バレー界の異端児」だった。

 新春を彩る、高校バレーの全国大会。通称“春高”に、主役になると目されたチームの姿がない。

 下北沢成徳――。今年度のインターハイ四強、国体4位の優勝候補。何より、全国制覇12回を成し遂げた監督・小川良樹の最後の晴れ舞台になるはずだった。しかし、成徳は春高・東京予選で涙を飲んだ。コーチ時代から48年に及んだ指導者生活は地方予選で静かに終わった。記者に囲まれた小川はこう言った。

「私らしい終わり方ですよね」

ADVERTISEMENT

選手が涙する中、最後の会場を静かに後にした

長時間練習、体罰との訣別

 高校女子バレー界、いや日本のバレー界で、小川が監督として一頭地を抜くのは優勝回数ではない。

 荒木絵里香、大山加奈、木村沙織、黒後愛、石川真佑……。この20年、五輪日本代表の中心選手は小川の教え子たちだった。Vリーグには30人以上の成徳OGが進んでいる。

 ロンドン、東京の五輪2大会でキャプテンを務めた荒木。彼女は、一度バレーを辞めようとした。

 2004年のアテネ五輪では最後に代表から外された。06年、何もかもうまく行かず、代表合宿を辞退することを決め、チームに伝えた。半端な気持ちではない。バレーを辞めるつもりだった。小川に連絡した。

 恩師は「辞めるな」と引き止めはしなかった。ただ、こう言った。

「辞めるのはいいけれど、その前に絵里香が大事なものは何かを考えなさい」

 荒木はこう振り返る。

「レギュラーになれない、プレーがうまくいかない。こんなんじゃ続ける意味がないと思っていました。けれど、小川先生に言われて、自分にとって何が一番大事なのかを考えた。そうしたら、それは『バレーがうまくなりたい』だった。先生の言葉で目標と目的が整理できて、行動の軸ができた。それ以降、私はどんな状況でも、常にバレーボールを楽しむことができました」

 28年ぶりのメダル獲得となったロンドンの銅メダル。キャプテン荒木と共に歓喜の中心にいたエースの木村はこう明かす。

「小川先生だけはごまかせないし、すべて見透かされていた」