この合宿中は、家のことを考えないようにして、必死に友人たちとの最後の時間を楽しもうとしていた。しかし、2日目の夜の練習が終わり、部屋に戻って携帯を見ると、知らない電話番号から着信があった。すぐに折り返してみると、知らない女性が電話に出て、切羽詰まった声で、「いま家で大変なことが起きているから早く家に行って!」と言った。
事情がわからなかった僕は、「今バスケ部の合宿中です」と答えた。するとその女性が「なに言ってんの!家が大変なことになっているからすぐに戻りなさい!」と、さらに強く言ってきた。そこで初めてただ事ではないと感じた僕は、慌てて合宿先にタクシーを呼んでもらい、家に向かった。
タクシーの中で、電話の女性の切羽詰まった声を反芻した。そして、母と義父のケンカや、母の最近の言動を思い返す。まさか、いやいや、そんなはずはない。でも、家でなにが起きているんだろう。どうして母や義父ではなく、知らない女性から電話が掛かってきたんだろう。早く家に着きたい気持ちと、怖くて家に着きたくない気持ちでパニックになり始めていた。
半年ぶりに見た義父は、死体となっていた。そして母は…
マンションに着くと、パトカーが何台も止まっていて、映画で見るような黄色いテープが、周囲にたくさん張られていた。警察官も何人もいた。その中の1人に、家に入れないから鍵を開けて欲しいと言われた。言われるがままにドアを開けようとしたが、鍵穴に鍵を入れる自分の手が小刻みに震えている。
なんとか鍵を開けると、警察官が一斉に家の中に入って行き、僕は外で待っているようにと言われた。3月末の夜、寒さのせいなのか、恐怖からなのか、手の震えが体全体に広がる。それまで体験したことのない震えだった。
しばらく待っていると、家の中に入るように促された。「部屋の中で、男性の方が亡くなっています。その遺体を確認して欲しい」と言われた。男性の遺体。それは、もしかして。案内されたのは、玄関からすぐそばの、義父が使っていた部屋だった。
そんなはずはない。絶対にない。祈るようにして部屋の中に入っていくと、見覚えのある背格好の人が床に横たわっていた。半年前に比べると、お腹の膨らみがとても大きくなっていて、ああ、あっちの家で幸せに暮らしていたんだなと場違いな思いが頭をよぎった。
顔全体にガムテープが卷かれていたが、義父に間違いなかった。顔の他にも、首と両足首の2か所をネクタイで縛られ、すぐそばのテーブルの上には、ハンマーが置いてあった。床と壁には、たくさんの血が染みていた。
ちゃんと顔を見て確認をして欲しいと言われ、顔のガムテープをめくってくれたが、とてもじゃないが見られなかった。それでも間違いなく義父だった。だから僕は、間違いありませんと答えた。およそ半年ぶりに見た義父は、死体となっていた。ただ、今すぐにでも起きてきそうに思うほど、現実感がまったくなかった。
義父の遺体確認のあと、僕の部屋に、母らしき人からの手紙があると教えられた。でも、それは今はまだ見せられないとのことだった。そして息子に手紙を残していることから、「突発的な殺人ではなく、計画的な殺人と推測できる」と言われた。
突発的とか計画的とか、そんなことよりも、母が今どうしているのかを教えて欲しかった。そのあとは、僕の事情聴取のために、パトカーで警察署に向かった。