警察署の案内された部屋で、1人不安に駆られながらしばらく待機していると、「もう1人の遺体確認もして欲しいからついて来て」と言われた。もう1人。母の今までの言葉を思い返すと、それは愛人なのか。それとも……。
廊下を歩きながら、どちらでもあって欲しくないと願ったが、ここまでくると、それはないと悟ってきた。そして気がつくと、涙が流れ始めていた。こんな考えはだめだと思いながらも、どうか母であって欲しくない。
そう願いながらついていくと、屋外に出た。その先に倉庫のような建物があり、入口が大きく開けられている。その真ん中に、なにか台のような物があるのが、遠くからでも見える。
一歩ずつ近づいていくと、それが棺であることがわかった。枕元には、線香と火が灯された蠟燭が立てられていた。どうか、どうか母ではありませんようにと、泣きながらも必死で祈り、ゆっくりと棺の中を覗くと、そこには母の体が横たわっていた。
一番愛している義父を殺し、自らも追いかけて死んでいった
義父のときとは違い、母の顔がすぐに見える。目はうっすらと開いていて、ロもほんのすこし開いていた。そこで母の死因を知らされた。11階建てのマンションの屋上からの飛び降り。自殺で間違いない、と。
飛び降りて死んだ人の死体を見たことはないが、それにしても母の体は綺麗だった。ただ眠っているようにしか見えない。右半身は見えないようになっていたが、見えている左半身は、傷1つなく綺麗だった。ただ眠っているだけで、揺すり起こせば、すぐにでも起きてきそうだった。
でも、間違いなく二度と起きてくることはない。母と今まで過ごした日々が、急に頭に浮かび、涙が止まらない。母が死んだ。僕のことを愛していると言っていたのに、結局は義父を取った。一番愛している義父を殺し、自らも追いかけて死んでいった。
無理心中。ニュースで何度か聞いた言葉。その言葉の意味がわからなくて、母に聞いたことがある。人を無理矢理殺して、そのあとに自分も死ぬこと。それが目の前で起きた。僕は泣きながら母が憎いと思った。僕はまたしても母に捨てられた。
この頃の僕には、1つの夢があった。それは、母と台湾の父と、僕の3人で1枚の家族写真を撮ることだ。すぐには難しいかもしれない。何十年とかかるかもしれない。でも、いつの日か、共に60歳、70歳を過ぎた頃、母が穏やかになり、父の色々なことを許せたときに。
僕も40歳くらいになって、母のことを、ちゃんとお母さんと呼べるようになって、みんなが今よりも、お互いのことを受け入れられるようになったときに、家族写真を撮る。今は無理でも、その夢は持ち続けよう。そうすればきっといつか。そう信じていたのに。その夢は叶えることができなくなった。